“四捨五入古希”の喜びは?
還暦よりも古希に近くなって、自分と周りを見ながら『人生最後の幸せは何だろう?』としばしば思うようになった。 懸命に働いた第一の人生、その後の解放されたような10年、そして気付いてみれば『四捨五入古希』。子供は大人になり、家内は家外になり、本人は自他共に認める老人になった。その老人は気持ちだけは40台ながら、明晰(!)な頭脳で考えなくても老齢期にある。統計からはもう少し彼岸渡りまでは時間がありそうであるが、これから先何を喜びに生きるべきか? 自問自答ではなく悶々の日々なのである。 わがアパートに定年の元教員夫婦がおり、夏は釧路で冬は南国に暮らし、、高級車を操って、何を考えているのかわからぬが、アパート住民との挨拶もなく生きている。「仕事を終えて自由に楽しく生きていることの何が悪い!」 というような声が聞こえそうな顔である。 本当に幸せなのだろうか? 楽農夫には不可解なのである。教員として子供やその親たちに「正しく生きること」を教えてきた人の生き方だろうか? ・・・・・・・・・ その楽農夫もあまり自慢できる生き方をしていないが、『永い経験を後輩の役に立てたい』と思い続けている。今日のTVでインドの農村に将来の夢を繋ごうとしている若い日本人女性を見た。純な眼と懸命にその土地に馴染もうとする態度に強い感銘を受けた。こんなことは老人には出来ないが後押しは出来そうである。ところが、純粋なこんな若者を応援する場を作れないのだろうか―との思いと、巷に溢れる“偽善者”への怒り の思いが交錯する。厚生労働省の現役局長逮捕が本日のトップニュース! 何と情けない日本になってしまったのだろう。 3日続きの雨は気分までブルーにしてしまったようである。 「四捨五入古希」の悩みは尽きない。
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