母。疲れて寝た時には、必ずイヤな夢を見る。起きると決まって涙が出ている。けれども、ここ数日は少し違っている。10年前に逝ってしまった母が、夢に出てくるのだ。それも寂しげに微笑んでいる母の姿ばかりだ。
母は死ぬまで苦労の絶えない人生を過ごした。私が3歳になる少し前の、突然の祖母(母の実母)の死の後、父の貞淑な妻、私と姉の母親の役目を完璧にこなしつつ、同じ敷地内に住んでいた、落ち込み続ける祖父・弟妹の身の回りの世話までしていた。
そして私が二十歳を過ぎた頃、母は腹部の異状に気付き、総合病院で検査を受けた。病名は大腸ガンであった。しかし母の強い希望により、父は私に「良性のポリープ」だと偽り、その闘病生活の2ヶ月、私は母の病状に気遣う事無く、身勝手な社会人生活を送っていた。そして私は今の主人と結婚し、あっさりと実家から出て行った。
一般的にも言われているとおり、ガンは5年以内に再発の可能性が高く、それを過ぎれば少しは安心できるらしい。それも通院をしながら、ゆったりとした生活をしていればの話だろう。しかし母の場合それが出来なかった。退院し1年が経った頃、祖父が脳梗塞を起こし、幸いと言うのだろうか、寝たきり程にはならずとも、半身麻痺の後遺症が残った。母は祖父をリハビリのため、近くの病院まで肩を貸しながら付き添い、夜はトイレに起きるのが難しい祖父のため、離れの祖父の家で、柱にもたれてウトウトするだけの毎日を余儀なくされていた。そんな過酷な生活の中、心配していた事が起きた。再発である。緊急手術の甲斐も無く、開腹するだけで施しようのない状態だった。
その時期、私は長女を妊娠していた。偶然の悪戯なのか、その出産予定日が母の余命宣告の時期よりも、少しだけ遅かったのだ。ここで、また母は父を巻き込んで、私に嘘をついた。「お腹の子供に障るといけないから、事実を言わないように」と父に告げていた。しかし父の判断で、私は事実を知らされた。知らされた上で「知らない演技をしてくれ」と父に言われ、私は複雑な胸中で母との束の間の日々を過ごす事になった。母は病院から最期の退院の許可が下り、年末に帰宅していた。母の顔を見て安心したかのように、また迷惑がかからないようにであろうか、母の帰宅後すぐ、愛犬が眠るように死んでいった。母の手作りの餌を嬉しそうに食べた次の日に・・・。
最期になるであろう正月のために、私は懸命におせち料理を作った。お腹が大きくなっても、自転車に乗って実家に足繁く通った。食が細くなった母のために少しでも食べてもらおうと、好きな食べ物を作ったり買ったりして持参した。そんな時期はそう長くは続かなかった。私は出産予定日より2週間早い4月上旬、夜中から陣痛が始まり、次の日の夜に夫の立会いのもと出産した。
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