対立を超えるために

7月7日に、「七夕大学習会」という、原発、特に六ヶ所村再処理工場のことを考える会に参加した。

原発の賛成派の方と、反対派の方とが、20分ずつお互いの意見を述べ合って、その後15分の討論で、時間を分けてきちんと情報を聴衆に伝えながら聞きあう、賢い方法を取った会だった。

賛成派も、エネルギーと地球の未来を考えているには違いない。
しかし、反対派の方の情報を聞けば聞くほど、原発と六ヶ所村に出来る再処理工場には未来がないということが明らかに伝わってきた。

対立を超えて、六ヶ所村再処理工場を推進している方々が冷静に理性的にこの危ない状況を考えられるにはどうしたらいいのだろう、と私は今も考え続けている。

この会を主催した主催者の一人が、わたしの大好きで信頼している在日の友人だった。
彼女にピア・カウンセリングの土台となっているRC(再評価カウンセリング)の方法を伝えたことも、この会の理性的、知性的な運営に影響を与えたと思う。

対立を超えるために、まず、「聴くということ」がポイントにあることは、明らかだ。


思えば私たちも、自立生活運動の中で「私たちのニーズは私たちが把握し、それに基づいたサービスを創るのだ」いう過程の中で、お互いのニーズをよく聴きあってきたと思う。

私が一番最初に障がいを持つ仲間たちと対等に関わり始めた時、その会のメンバーの中心は脳性まひ者の方々だった。同じく障がいを持っているとはいえ、彼らの体のニーズと、私の体のニーズが、少しずつ違っていたにもかかわらず、差別を受ける時はまったくかわらず、「排除」という差別を一緒にされ続けた。
車イスでバスに乗りたい、と思う気持ちは変わらず、しかし、「バスに乗せない」という差別は同じく受ける。
脳性まひ者の友人たちは、川崎でバス闘争を大々的に行い、何十台ものバスを止め、中にはトンカチを持ってバスのドアを叩きまくると言う男性の脳性まひ者もいた。
骨が弱い私の身体にとっては、とてもあまりに危険な行動だったから、遠巻きにして見守りながら私がしたのは、介助者つきで、時には無しで周りの通行人にお願いしながら、地道にバスや電車に乗り続けるという闘争だった。

お互いのニーズをよく聴き、体の状況を知り合った仲間たちが団結することによって、20年前には夢だと思っていたことが実現したのである。つまり、多くの駅やバスにアクセスな設備が整ってきた。もちろんまだまだ完璧ではない。しかし、わたしたちは時に立ち止まって、自分たちが実現したことを評価し、喜び合うことが必要だと思う。

対立を超えて、排除を超えて、手を繋ぎあうために、あらゆる問題を

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日記・コラム・つぶやき
2007/07/11




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