弓道審査と「射即人生」のこと(ぼのぼの風に)土曜はいきなりだったのに会ってくれたアラケンと浅井ちゅんありがとー。久々に桐朋の匂いを感じられて面白かったです。
さて、今回は弓道ネタで。
僕は会議で東京にいたわけですが、昨日は仙台では弓道の審査がございました。うちの部員も大勢受審しまして、弐段は受審者全員が合格、四段は3年生の後輩が一人合格しました。あー、僕も頑張って四段になろー。
この弓道における段位って奴なんですが、どの武道でもそうなんでしょうけど、単純に的に当たるかどうか(他なら強いかどうか)とは別で、演舞的な意味合いが色濃く出ます。ぽこすか中ってても、その他の「体配」が出来てなきゃ段位はもらえません。
「体配」が出来ているっていうのは、つまり実際に弓を引いている最中は勿論、その前後の射る場所に入ったりに矢を番えたり、引いた後に退場したりする時の作法が理に適ったものであるかってことです。大体のことは全日本弓道連盟が発行している「弓道教本」に書いてあり、そこに特に明記されてないような細かいことは、宮城県弓道連盟の高段位の方々が定期的な講習会で教えて下さいます。
そういうマナー的なものから射に品格を持たせろ、ってことでしょうか。
「古今東西、的をもって行われる競技の目的はすべからく当てることにある」のは勿論ですが、重要なのはそれに至る過程で、それ以外の要素を多く備えていなければ先生方は段位をくれません。良く使われる例えで言えば、綺麗なサクラの花を咲かせるには、枝の部分は勿論、その木の幹、そして地面からしっかりしていなければならないわけです。中たったとだけ言っても、適当に引いてても”数打てば中たる”(審査はたった2本を引くだけの間に行われます)わけだし、また教本に則った引き方でない、その根底に流れる理念から外れた引き方で中たっていても、高段位は望めないのです。
そういうのは射場に入る前から、日常生活の細かなクセからすら反映されるんだよって教えもあり、「射即生活」とか「射即人生」なんて表現されます。
4年目で弓道家としてはまだまだ入り口にも立ってないとは思いますが、最近、自分の視点からもこの言葉の有り難味が実感を伴って判ってきたように思います。
今考えると、テニスでも性格とプレーって関係してましたもんね。どっちが先かといわれると判りませんけど、そこに何らかの統一性というかストーリーがないと見てて気持ち悪かったはずです。
性格ってのは遺伝子とかもって生まれたものと環境とがお互い関係しあって(配合の割合は特に明確な根拠なく多因子を超えて乱数的な気がしますが)生まれてるわけで、少なくとも日々の生活でクセのついているものは周囲の反応とかと相まって性格の
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