映画『ワールド・トレード・センター』

「歴史にするにはまだ、早すぎる」

そんな友人の言葉があり、見に行くことはあきらめていた映画でした。一人で行く気にはなれず……それでも、やはり見たい気持ちはあった

関係者にまずは出来上がったものを見せて、その上での公開であると言うことも、そういう気にさせた原因ではある

見に行った人たちはきっと、同じような葛藤の末に見に行った……んじゃないかなぁ、と思う

それほどに、あの現実は、あの瞬間はある種のトラウマにも似たもので、焼きついている

 

 

救助に向かった人たちを描いたこちらの映画は、それでもまだ、見やすいものだったのかもしれない

二次災害、三次災害を描いたもの

それでも、映画が始まった途端に。まだ「それ」が起こる前から胸をわしづかみにされているような息苦しさと、泣き出してしまいたいような胸苦しさに襲われた

おきてからは、なおさらに

「何かが」起きる

彼らの身の上に、何かが起きる

そう思いながら

それでも、今回は泣かずに最後まで見ていた

あの時、あの場にいて、そして関わってきた人たち。駆けつけた人、待ちつづけた人、祈りつづけた人……

確かに、歴史にするには早すぎる。あれは未だに、日本人のわたしにとってさえも「現実」のままだ

 

 

あの日を、ありありと思い出す

テレビの前から離れられなくなった夜。大学の合宿中。練習時間後の、全体での勉強会の途中でその速報はJ-phoneで流れ、その利用者が携帯をまわした

勉強会が終わったあとは、その日は宴会を全パートしない日だった

けれど、結局眠れなかった。どの部屋も、そしてロビーのテレビも繰り返し流される映像と、少しでも新しい情報を伝えようとする、それでいて錯綜した情報を流しつづけ、その前にくぎ付けになったまま動けなかった

確かにシンボリックなものだったかもしれない

けれどそこは、一般人の集まる場所だ

そこが狙われた

日本でいうならば、官公庁ではなく、オフィス街が、狙われたようなもの

国防総省でも起きたけれど、規模がまったく違った

きれいにまとめることはできない

答えなんてない

人があれほど死ぬことに、そしてその行動を起こすことに、理由付けも言い訳も、どんな大義名分もどれだけの役に立つだろう

そして第三者のわたしが

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映画・テレビ
2006/10/17




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