シャガールについて

ロシアで(ベラルーシ)で生まれ、フランスで認められナチスに追われアメリカへ、そして生まれ故郷には戻れなかった。

生家は貧しい鰊倉庫で子沢山、敬虔なユダヤ教を信仰。

パリで最愛の人と結ばれ娘をもうける、しかし先立たれ後に二度の再婚。

「色彩の詩人」「幻想の画家」と言われるが、称賛には同意しなかった。

初期の作品には民族的な重い境遇が強く影響し、信仰の心が強く影響し、観るととても気がおもくなる。

実際帰ろうかとおもった。

私が救われたのは「雲の上で」以降で、奥さんと出会いそれまでの幻想的な内容に大きな方向性が加えられた展示に変わったからであろう。

色彩の優しさと配置における高揚感だと思う。行こうの作品は観る喜びをもたらしてくれる。

「幻想的」と言われる称賛を否定したのは、たぶん彼に見えている世界は、感じている世界は作品そのもので、意図的に書かれたものでなかったからだろう。

彼の脳はそう感じそう見えていたのだろう。

それを感じたのは、再婚したわが身を描いた作品「振子時計の自画像」とその前後の結婚にかんする作品の内容からだ。

「振子~」での彼は青白い馬として描かれている、彼の心中は如何なものだったのか?

寄り添う妻に明るさはない。画面右の処刑されたキリストに寄り添う女が意図するのは何か?彼は処刑されたのだろうか?しかも深刻な感覚で登場するト言う振子時計が青い手を広げて宙を舞っているのだ。

娘に促された再婚はこの絵を描いた当時がとても幸せにはみえない。

当時と書いたのは彼は加筆を何年も経ってからすることがあるからだ。

初婚の「雲の上で」の二人はしあわせな街の上空をフワフワと飛んでいるのだ。後ろから支える様に抱いている彼の気分こそこの絵そのものであろう。身分的な差を彼女の献身と強い意志と彼の愛情がつかんだ高揚感の絵だ。

比べて再々婚の妻の絵は妻と花束が描かれている、とてもきれいな絵だ。理由を知らないで液晶画面で見た時は時めきを感じるくらいだった。

この三つの絵に表現された彼の配偶者・彼自身の位置づけに対する感覚、女性の見方の変化は、言葉にできない苦悩とそこから得た新しい価値基準を思い図らされることになった。

絵画で表現できる事は書き手と感傷する側に共通の言語が介在するのであろう。

キュビズム的構図嗜好はあるのだろうが、究極は脳が何を感じそこに投影されたかであろう。

だからなんとなく彼との言葉が通じた気がする展覧会であって彼の事が気に入った。

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2008/08/02




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