映画に見る歴史の綻び映画「帝国オーケストラ」(2008)に見える歴史の歪について
名門楽団ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の
第二次大戦中におけるヒトラー政権下での活動の実体の暗部に迫った
ドキュメンタリー映画「帝国オーケストラ」(2008)(ディレクターズカット版)
ではナチス幹部の前で演奏する楽団のシーンが何度か登場するが
芸術への造詣が深いことで有名だったヒトラー(多分に独りよがりだったようだが)が
ただの一度も画面に登場しない。
教養の無さそうな粗野なオーラ丸出しのその手が大量の血で汚れていた
であろう大物幹部達が素晴らしい演奏を前に「早く終わってくれ」とでも
いいたげな欠伸を堪えるのに必死な退屈極まりない表情を隠さず見せて
いるというのに。
その演奏のほとんどがナチスの党結成に関連するセレモニーか
ヒトラーの誕生日を祝うという名目で開催されていたにも関らず
ヒトラーはただの一度も出席しなかった。
カメラはまるで親の姿を捜す子供のようにホールの中を空しく端から
端まで移動してみせる。あるいは、そのさりげないが意味深な
カメラワークは後世の人々に何かのメッセージを託したかのようにも
受け取れる。
「ここになぜ最重要パーツが無いのかをよく考えよ」と。
主役が全く出席していないという事実を考えれば考えるほど
その意味が導く結論は恐ろしいことになる。世界中でフォーマットが
見事に統一されている彼らナチスとヒトラーの存在意義の常識を
修正しなければならなくなるからだ。
もしもヒトラーが楽団の演奏に出席して楽しんでいる姿がフィルムに
収められているとしたらどういうことになるだろうか?
その姿は我々の脳に刷り込まれている右手をあげてしかめっ面を
している姿でもなくオーバーアクションでがなり声を上げて意味の無い
演説している姿でもない。人間「アドルフ・ヒトラー」が音楽を静かに
楽しんでいる極めて重要な映像資料が後世に遺されたはずだ。
楽団の演奏を撮影していたのは連合軍ではない。
全てはナチス政権下の指示の下に演奏も撮影も行われて
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