1-9 能登の感動は全身的。
とはいえ、はじめて訪れた能登に私は魅了された。
まずは人である。おだやかで、やさしい。
金沢の人もやさしかったけれど、北へ行けば行くほど、能登へ入れば入るほど人の顔がやさしくなるのがわかった。手触りのよい、安穏としたみせかけだけのやさしさではない。きびしいこと、つらいことを経たうえで手に入れたやさしさとでもいおうか。どちらかといえば無愛想で無骨で言葉も荒いが、その奥にある限りない温かさが私の心に沁みてくるのだ
車から下りて風景をデジカメで撮影していると、学校帰りの小学生が見知らぬ私に頭をさげて
「こんにちは」
と挨拶をする。これには参った。己を恥じた。都会ではおよそ考えられない光景。しかし昔の日本ではあたりまえの光景が、ここ、能登では古びることなく日常として存在しているのだ。
そして風景だ。海があり、山がある。
海もふたつの顔を持っている。
日本海側の海は激しく厳しい海だ。千里浜海岸を過ぎると、以北の風景は荒磯と断崖に代わる。波と風が時間をかけて削った、荒い、ごつごつとした岩の造形が現れる。能登半島の最北端へ行くまでは、背に山、腹に海、磯沿いの道は誰もが思い描く日本海の風景がつづく。
半島の最北端から東側の道をくだり、内灘に入ると海の光景も一変する。穏やかでやさしい海が牡蠣を育てている。ひと口に海といっても激しい海とやさしい海が能登にはあるのだ。
山の美しさも忘れてはならない。
飛行機で能登空港へ降りようとするときによくわかるけれど、眼下のそれは深く、鮮やかな緑の絨毯のようだ。
幹線道路を折れて小道を奥へ、奥へと進んでいくと集落にでくわす。陽射しに輝く黒瓦のどっしりとした家が点在し、夕方になると畑の向こうで細い煙があがっていたりする風景は、日本人の誰もが心に描く原風景といっても過言ではない。
田んぼでは米、畑では野菜、山では栗や林檎がつくられている。
そして何といっても食べ物だ。
金沢の居酒屋でのどぐろの塩焼きを食べた感動はどのようにあらわそう。熱々の身は柔らかく、口へ運ぶと淡泊なのに脂あって、噛むと脂の向こうから甘さがあらわれて私の全身をふるわせる。焼き魚といえばキンキとのどぐろにとどめを刺すという私の持論はこのときに確立した。
それだけではない。蟹、ブリ、甘エビ、イカなど、能登の魚をあげればきりがない。
さらに野菜だ。さつまいもや金時草、加賀太きゅうりや加賀れんこんなどの加賀野菜、その他にも能登には地味豊かな野菜がたくさんある。
ブリ大根など、私はそれほど好きではなかった。ところが能登で食べたブリ大根はブリも違えばイカも大根
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