たまには青くさいことも言う。今日、(最近ではすっかりさぼりがちだった)ウォーキングの最中に、突然
「強い」って「傷付かない」ことじゃなくて、傷付くことを受け入れることだと思う。たぶん。
なあああんて言ってた青くさい学生時代を思い出した。ほんと急に。どっかで聞いたような言葉だけどそんなことを思い出したのすらたぶん10年以上ぶりだろう。
だけどその言葉は33になった私にすっと入り込んで来て、私は10年以上も前のかわいげもなくとんがって化粧っけもなけりゃ体重だって7、8kgは重かった頃の自分に妙に納得させられてしまった。
自分が傷つかないために神経尖らせて相手を攻撃したところでなんの解決にもならない。達者な口で相手をちょっとへこませてその時は勝ったような気になれるかもしれないけど、むしろ長い目で見たら悪循環になるだけだ。
だからって都合のいいお人よしになるのはもちろんいやなんだけど、私は自分を守ることに必死すぎやしないか。
本当にこわいのは自分が加害者になることだ。
泣き寝入りをする気はさらさらないけど、せめて「受け入れる」ことができる器になりたい。
目指すところは衝撃吸収体・ゴアだ。(←注:ちなみにこれは「私のボディはゴアなの!」っていう車のCMが確かあったよなー、という曖昧な記憶をもとに書いてます)
そもそも私はこの静かな毎日に対して傲慢になってはいなかったか。
当たり前の毎日をほんとに額面通り受け取ってしまってなかったか。それってすごいことなのに。
今の愉快な暮らしは、自分で見付けてきたものでは決してなくて、みんなからの頂き物だ。狎れて当たり前のように思っていいものではない。「当たり前」が明日もちゃんと来るように、もっと丁寧に暮らさなきゃもったいない。
当たり前の明日が来るのはすごいこと。胡坐をかいてたら、それは少しずつ逸れていく。
この毎日が明日終わっても悔しくないように、いやさすがにそれは無理だけど、幸せをぼんやりと享受するだけじゃなく、“平凡な毎日”にもメンテが必須。
穏やかに。心豊かに。そしていつも感謝。
今ある幸せにもっと謙虚にならなくては。と、ガツガツ歩きながら考えていた。
体を動かすと無心になれていい。あと千切りもかなり有効。
「謝る」ことより「許す」方がずっとずっと大変で、長く消耗する。
衝撃吸収体でない私には、これがほんとに難しいのだ。
だからって他の人には簡単にできるとか思っちゃいかん。気を付けろあたし。
話が見えないまま転がり続けているけれども、ああこれは忘れないうちにちゃんと記しておかなきゃいけないことだと思って、覚書代わりにここに残すこと
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