時間を積むということ

陶芸家で元料理人の先生と2人で話す機会ができた。僕は自分のことを話した。先生は自転車のこともよく知っているし、旅に対して理解もある。それをふまえた上で、こう話してくれた。
「今は何がしたいかわからずに迷っているかもしれないけれど、とにかく何か一つやってみなければならない。一つのものにとことん真剣になれるものを持たないといけない。それは何でもいい。どんなささいな理由でもいい。わしが料理をするようになったのも17才の時に、レストランで働けば食いっぱぐれがないと考えたからだ。一番悪いのは、あれやこれや頭で考えて結局答えが出なくなることだ。行動してみろ。そうすればどういう形であれ絶対答えが出る。挫折は大いに結構。とにかく一つやってみろ」
その一つの中に"旅"は入るのかどうか。源さんは入るというし、先生は別物だと言う。職業という観点から見るとどうやら入らないようだ。
先生は時間を"積む"という使い方をされてきた。それはすてきな使い方だと思う。僕もこの"積む"という時間の使い方をしたいと思う。

…けれど最近、自分には何か一つを選びとって積んでいくことは性に合っていないんだということに気がついた。何度も一つを選ぼうとしてみても、ダメだった。自分の中で一つ"常に特別なもの"を置くことができない。すべてがそれぞれの瞬間に、自分がそれを選びとり関わっている瞬間に、その間だけそれが特別な存在であればいい、今はそういう風に考えている。(もしかすると僕は人間関係もそんな風に考えているのかもしれない)

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2008/02/19




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