「実りのある議論」芸術、美術は好きだが、芸術論、美術論は好きではない。
宗教的なものも、各宗教がどのように物事を考えるかは知るのは好きだけど、その宗教を信じる人達が議論しているのは好きではない。
話を聞いている途中で疲れてくる。
「これを聞いてても、考えても無意味だ」と、思うことが多い。
でも中には実りのある議論もある。
違いは何だろう??
で、解りました。(ほんとか?)
一つは、
議論する人の価値観や存在価値を揺るがす時、
防衛本能的に感情的になる時がある。
『 Aさんは、Bさんを尊敬している。
Aさんは、Bさんの考え方を見習う、生活習慣を変える。
Bさんが、Aさんの価値観の一部となる。
Aさんは、Bさんを否定することを言われると
これまでの自分も否定されたのと同じこととなるので怒る。 』
…ということは誰にでもある。
人は誰でも、知人、芸能人、宗教であれば神、
人だけでなく物事も価値観の一部となる。
そこを否定されると、会話が客観的ではなくなる。
会話が客観的ではなくなった人がいると、議論ではなくなる。
もう一つは、
美術、宗教などは、専門知識がなくても意見を言うことができる。
通常の議論は専門知識を持った人が意見を言う。
専門知識を持ってなければ気後れして黙ってしまう。
間違いを間違いと証明できるものは自然と意見も淘汰される。
でも、美術、宗教などは、
強い感情・思い入れ・信念などがあれば、誰でも意見が言える。
自分の感情を言った時、意見に間違いなどない。
言いたいだけ、自分の意見を言える。
言いたいだけ、相手の意見を否定できる。
言いたいだけ、自分の感情に任せることができる。
この二つが重なった時、実りのない議論が始まることが多い。
感情的で中身のない状態になりがちになる。
どうしたらこういうことを防げるのか。
そういう風になる人を締め出すことは難しいので、
これは防げないと思う。
でもどうしたら自分がそういう風にならないようにするのかは解る。
一つは、
自分が大切に思うこと、価値観を否定されても、
それは自分が否定されているのとは違うこと。
もう一つは、
感情や信念は、議論の場には持ち込まない方が良い。
自分の価値観や信念は大切だけど
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