悔しさは伸びる力の原動力大学時代1年間アメリカに留学中、これほどの屈辱感を感じたことは生まれてこのかたなかった。 今まで学校の先生の言うことをきちんと聞いて、その通りに実践してそれなりに良い評価を得ていたのに、アメリカに行くと必ず「あなたはどう思うか」ということを堂々と論理立てて話すことが重視される。 日本ではできるだけ自分の意見はたとえあったとしても、まわりの空気を読んで言わないほうが尊ばれる。 ところがアメリカではどんなことでもいいから質問するほうが評価される。 どのような質問にもそれが皆の参考になることがあると思われるからである。 実際アメリカ人というのは、どんなささいなことでも、どんなつまらないと思われるようなことでも平気でどんどん質問していた。 まるで生徒のほうが先生よりときには立場が上に見えることさえあった。 激しい議論が続くこともあった。 そんなエキサイティングな雰囲気の中私は沈黙を守ることしかできなかった。 みじめだった。 自分が本当に「アホ」だなあと実感し続けたアメリカ留学時代である。 私には自分の意見というものがあるのか??いわゆる「みんな」とか「世間」とか言われるものに自由な発想は抑圧され、私は自分が自ら考えることをしない「ロボット」になりかかっていることにショックを受けた。 自分で考え自分で答えを出してみる。 わからないことはわかるまで徹底的に聞く。 そのために先生とか専門家が存在するのだ。 単に成績をつけてもらうためではない。このような姿勢で学ばないかぎり、アメリカ人生徒たちと同等に授業が受けられない。 私は限りない孤独感を感じた。 もっと自分が人間として成長しないといけないことを実感した。 悔しかった。 自立心旺盛なアメリカ人のクラスメート達と一緒にいるとまるで私は赤子同然だった。 このままではいけない。私は自分で考えることができない「アホ」にはなりたくない。英語がしゃべれない、自分の意見が言えないということでアメリカでかわいそうな幼児のように扱われるのは最悪の気分だった。 危機感がつのった。 帰国してから私はその「悔しさ」をバネにしてアメリカにいたとき以上に英語の勉強にせいをだした。 同等に議論ができるレベルを目指して。 自由な発想を自由に語れる大人になることを目指して。 帰国後は仕事は英語を使うものだけを選び、1日中英語とつきあうことにした。
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