昔の思い出

恥ずかしながら、前の記事の続きを書きま~す。

農業記録賞は、2回応募させていただいたんだけど、最初の時は48歳だった。

我が家は、普通の農家の人たちとは、ちょっと違ってて、普通の農家は両親が居て、そこに後継者がいて、その後継者に嫁が来る・・・・・・そ~してその両親が、一生懸命働いて後継者に範を示し、家族ぐるみで一緒に働きながら後継者も嫁も仕事を覚えて行く・・・・・・

そんなパターンが多いのである。

ところが我が家は大事な母親が50歳で亡くなり、私が嫁に来た時は祖父(72歳)、祖母(73歳)、父(52歳)、妹(17歳)、(11歳)、弟(14歳)と私を含めて総勢8名

父は母を亡くして、放心状態のところへ私は嫁いで来ました。

1回目の農業記録賞は、そんな嫁に来てからの事を書きました。

2回目は56歳の時で 《かりかり大豆》 がどうして出来たか、と その後を書いたの。

今、こうして歳を取って見ると、昔のことが懐かしく、思い出されます。

父は (私にとっては舅で義父と書くのが筋だろうけど、義父・・・よりやはり父みたいな関係だったんであえて父と書きます。というとえらい仲がいいように聞こえるんだけど、お互い遠慮がなく、よく喧嘩をしました。) 嫁にきたばっかりの私に 「結婚したら一人前だこれから先はお前たちでやっていけ。」  こう云って後は手も口も出しませんでした。

運転資金も渡して貰えませんでした。

当時我が家には 『種付け牛』 がいて、(もうかれこれ50年近くなるんだけど、当時の農家は皆農耕用の牛を飼っていたの。種付けは人工授精ではなく、なまでやってたの。)一頭種つけたら、3,000円頂いてた。それが我が家の生活費だった。でも牛は毎日は来ないし・・・・・

米のお金は父が握っていたんで、やりくりは大変だった。

そんな私が どう歩いて来たか、 を書いたんです。また長くなるんで、続きは後ほど・・・

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ちょっと自分史
2008/11/29




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