覚悟に勝る決断なし!

「覚悟に勝る決断なし!」いろんな人が好んで、この言葉を使用する。諺なのだろうか?誰か有名な古人の言葉なのだろうか?私の好きな言葉だったりする。

世の中には、決意はするのだが、決断の出来ない人が多い。「こうありたい」という思いの下、その為には、こうあらねば・・・!と強く決意する。しかし、私が思うに、決意と決断は似ているように見えて、少々違うような気がする。決意は腕組みをしながら、閉じていた目を、かっと見開き、「これだ!」と或る方向性に向けての意を決する行為であるようなイメージがある。

それに対して、決断には断行という第一歩を踏み出すという行為が伴うように思える。

折角、決意したのに・・・素晴らしい決意なのに・・・熟考に熟考を重ねた上での決意だろうに、最初の一歩の踏み出しが出来ずに立ち尽くしたままの状態の人を何人も見る。

長く親しくしてもらっている友人と言ってもよい同業の社長にも、そういう人がいる。最近、とみにその傾向が強くなってきたように思う。人ごとながら歯がゆい思いすらする。

自分の場合も含めて、何で、決断できないのか?ということを考えた時、つまるところ「覚悟」が出来てないことに起因しているのではないかと思う。

それは、どんな覚悟なのか?

ひとつ決断すると、その代償として何かを失う可能性が生じる。そういうことがついて回るような気がする。尤も、脱皮に向けての決断であるわけだから、当然ともいえる。

その失うものが多ければ多いほど、大きければ大きいほど、覚悟とは程遠い、いざという時の迷いが生じるのだろう。たとえ、失ったところで、又新たな発見があり、進化に向けての代替物を得るという事実さえ分かっていれば、何も恐れることはないと開き直ることも必要だろう。

私も会社を興した頃は、何も失うものがなかった。そんな時はいつも決断の連続だったような気がする。無謀とも思える決断の中、ただひたすら前進を続けた。決して、戦略として上々のものではなかったし、嘲笑ものではあったが、その決断にはいろいろな運もついて回った。そして、それが私の今日の礎となっている。

ところが、それなりに失うものを身の回りに蓄積した今、更なる希望の道へ一歩踏み出す決断力が乏しくなったような気がする。

しかし、失うといったところで、その対象となるものは、単に「見栄」であったり、つまらない「プライド」であったり、気がつかないが「前進・発展を阻む阻害要素」であったりすることの方が多い。

たえず「これでいいのだろうか!?」「更なる進化の為には?」ということを念頭に置き、幾つになっても、決意・決断の自分で

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2008/08/01




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