落選随筆ーその2-きのうの落選した随筆「琴」のつづきです。
三浦哲郎が日本経済新聞に『地唄(黒髪)の思い出』と題して随筆を寄せたことがある。それによれば、貴美恵さんの琴教室の演奏会で三浦自身も演奏している。貴美恵さんが、正式に習いもせずに見事に弾いた弟に驚いたという。ふとん店の二階の稽古場でも、おそらく見ていただけではなく弾いていたのではないか。美男であったというから、或いは貴美恵さんの弟子たちの憧れの的であったかもしれない。
F子の姉A子がわたしを溺愛した。私はA子おばちゃんと呼んでいた。ふとん店の一角はA子おばちゃんの洋裁教室だった。最新型の子ども服を試作しては着せてくれたものである。
ある日突然A子おばちゃんが私を抱きしめた。その力があまりに強く苦しかったのを覚えている。わたしは大人になってから、あのとき何か悲しい出来事があったのだと気づいた。
母の伯父はとても愉快な人だった。客がふとんを注文すると、「いつまでに作ればいい? 初七日か? 四十九日か?」などといって笑わせていた。
庭の奧の工場では綿を打つ機械音がしていた。人影がすると大型犬のジョンがけたたましく吠え立てる。このような家や庭で、私は思いのままに遊び回っていた。
貴美恵さんはそんな私を呼び寄せては、琴を弾かせてくれたらしい。この子には素質がありそうだから是非習わせなさいと母に勧めたという。しかしわが家の家計は火の車、習い事どころではなかったのだ。
それから20年もの歳月が流れ、貴美恵さんが選んでくれた琴は、さまざまな成り行きから母のもとに落ち着いたのだった。私はもう社会人となっていたが、今からでも習うようにと母に勧められ稽古に通った。ところが指がなかなか思うようには動かない。それでもどうにか練習曲をこなしていたが、ついに『六段の調べ』で躓き、以来琴はふたたび床の間の置物となってしまった。
一戸町のふとん店はもういまは無い。店舗も庭も保証人となった形に人手に渡ってしまった。
日差しに温もる飛び石をわたしはいったい何百回、何千回跳んだことだろう。一つ一つの情景が厚い人情とともに胸中を過ぎる。このような原体験が、わたしがものを書くときに、原動力の一つになってくれている。
琴の音を耳にしゃがみこみ、飽かずにながめた松葉牡丹の花は今もって眩しい。ーおわりー
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