浅草公会堂にて。昨日浅草公会堂まで母が大ファンな演歌歌手、上杉香緒里のコンサートに行ってきました。
母が一人分のチケットを購入後に以前応募していたペアチケットが当たって2枚あまっている
ということで、姉と共に行くことになったのであまり乗り気ではなかったのですが、
やっぱりコンサート会場という場所はいいですね。
なぜか登場してきて、「香緒里ちゃーん、香緒里ちゃーん!」というおじいちゃん、
おばあちゃん、おじさんの声援とともに自分の目頭がじーんと。
ストレートに歌う方で、私はやっぱりこーゆーシンプルな伝わり方に感動をするなぁ
と思いました。
技術云々、パフォーマンスもわぁーとそのときはテンションが上がります。
それを批判しているのではなく、そのことで人の心を感動で揺さぶらせることは
とってもすごいことだと思うのです。
ただ、感動の種類が異なっていて、そういえばこういう感動求めていたけど気づかなかった、
与えてもらってそうそう、これ探していたよという感じです。
一瞬の高揚感は例えて言えば、私は電車の中で軽く糖尿病の患者のように甘いものを
欲して冷汗が出てしまうことがあり、その中でチョコレートを一粒食べると、一瞬にして天に舞い上がるように救われた気持になるのですが、それが続くのは数分で、すぐにまたもう一粒と欲しくなってしまいます。
また一粒、また一粒と。
例えばある夏の日、平日でサラリーマンがスーツを着ながら皇居の周りを歩いていて、
その光景を喫茶店に入って窓から、アイスコーヒーを飲みながら眺めている。
空は青いし、木は緑。
当たり前だけに当たり前のようにその場に自分もいるけれど、そのことに対しては特別何も感じない。
だけど、そーいった光景が妙に後からずっと心地よかった感覚ということで、脳の押入れの中に保管されています。
技術的で革新的ではないもの(失礼な言い方かもしれませんが)には、安心します。
先日会社の先輩が引越しをされたんですが、お願いした引越し会社の名前が
アクティブ感動引越しセンターだそうで。
名前が良い!
引越しって本当面倒でできればはずしてもらいたい作業ですが、次の新たなステップには外せない作業で、
その新たな場所へお届けするお手伝はまさしく感動である、と。
普段恥ずかしくって感動!って思いっきり言えなかったりします。
が、普段生活している中で、感動って眠っているんだなぁ、気づいていないだけなんだなぁ、
口にするのはなぜか恥ずかしいだけれど、きっと体は常に求めているものなのかもしれない
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