年末恒例!しみったれボヤき節。

昨年の今ごろの私は何を考えていたであろう……と、平成19年12月の記事を読み返してみたところ、年末最後の記事がなにやらすごいことになっていて、もうちょっと上手く書けよー!これじゃ突如何かに目覚めちゃった人みたいで不気味がられるじゃん!
……と、自分の筆の不甲斐なさにがっくり。

もっとも、この残念で暗い一年を体感したあとに昨年の記事をもう一度読んでいただければ、舌っ足らずながらも私が何を言いたかったのか、去年よりも皆さまに理解しやすくなったかも知れないなー、とは思います。(別に気が狂ったワケでは無かった、ということが。)
この年末は山谷地区への援助物資も例年より多く届いているそうです。

いつも考え込んでしまうのですが、観劇をしたり美食をしたり出来るというのはとても贅沢なことで、年末差し迫った寒い一日に、暖かいホテルの宴会場で、コース料理を二食も食べて美しい舞台と音楽を愉しんでいる私のような人間も居れば、まったく同じ一日に、明日の住処すら保障されることなく一方的に企業から解雇され、極度の不安に苛まれながら過ごす人も居るのですよね。

それは決して、私がその人の倍の努力をして来たからそうなった訳ではないでしょう。

生まれた育った家、土地、時代。
遊び呆けるばかりのバカ娘にも親は充分以上のお金をかけてくれたし、20年前の東京には、その程度の学生達をどんどん採用してくれる企業が溢れていた。
もしも私のようなタワケ者が、教育に疎い両親の元、企業も少ない地方の小さな街なんかで育っていたとしたらどうだったのか、と。
職と住処を同時に失い、目の前が閉ざされた気分で新年を迎えなければならない誰かよりも、ずっと享楽的に生きて来たかも知れない私の方が、暖かな部屋でさんざんな贅沢をし倒しているこの不条理ってのはなんなのだろう?と。

この年末に仕事も家も失う人の絶望も一縷の希望も、どんなに想像しようとしたところで、私のように時代や環境に恵まれて育った人間の肌身に、真から迫ってくる事は無いのでしょう。
それでも、何も考えずに感覚を麻痺させて、ミニマムな幸運を当然のこととして享受するよりも私はやはり考えて居たいのです。
激安ショップで買い物を楽しめるのも、地方の、あるいはアジアのどこかで、採算度外視の設備投資や納品を強いられたり、労働力を安く買い叩かれている人々の上に成り立っている、ということを。
恵まれた環境で育った人間には容易に想像できない事情を抱えながら、不利な条件でも黙々と働き続けるしかない人たちが沢山居るのだということを。

昨年から年末はもう、本当に言いたい放題にする!!モードに致しました。一年に一度?くらいはいいじゃ

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日々雑記
2008/12/29




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