死と美と事件の臨界点―イジマカオル写真集「最後に見た風景」をもう一度眺めて

 イジマカオル『最後に見た風景』(美術出版社)は、2004年9月末日に出た写真集だから、出版されてから、もう4年と8ヶ月が経ったことになる。その写真集をもう一度眺めてみたくなったのは、新型インフルエンザの流行やその強毒化について危惧する声の高まり、そして、ミサイルで日本の大都市を殲滅する可能性を声高に叫ぶ国の暴走ぶりなどを日々聞くに及び、死というものが濃厚に練りこまれた日常を肌身に感じたからである。

 ご存知の方も多いだろうが、この写真集では、井川遙、長谷川京子、中島美嘉、加藤あい、小池栄子、夏木マリ、ともさかりえ、U A、板谷由夏、冨永愛、タニア・ドゥ・イェーガーという、今を輝く女優やモデルがとても尋常ではない死に方(殺人、自殺、急な発作、交通事故etc)で死んでいる。

 みな演技派なので、そして、何よりも生きているので、死んでいるという場面の写真も、かえって「死んだ姿」を演じているように見えてしまうのだが、よくよく凝視していると、こうした死体をある日、突然、どこかで目撃してしまうのではないかという怖ろしさを感ずる。そのうち、こういう死に方を自分もしてしまうのではないかという物凄くリアルな感覚に襲われる。他人ごとではなくなるのだ。そこまで感じてしまった段階では、女優の名前は意識の表から揮発している。無名な人が想像を絶する災難に巻き込まれ、誰に看取られることもなく絶命している映像になっている。

 おそらく、この写真集が出た4年8ヶ月前には、これら偽の死体写真を見ることで、実は、美しい女性たちの放埓な肢体・姿態をそこに眺める余裕が鑑賞者には残されていた。死は生の残照もしくはネガであり、生が極限にまで横溢したときに突如訪れる死は甘美な芳香を発する。(注釈的に言えば、その裏側にはネクロフィリア的倒錯という闇が控えているのかもしれない。)いわば、陳腐ではあるが、死とエロティシズムという古来、アーティストたちの心を捉え、女優たちを魅了した挑発的なテーマ、すなわち芸術史・演劇史の文脈でのコンセンサスのなかで許容されたモチーフを楽しむ、ある種の精神的余裕に満ちた鑑賞という位置取りが可能であった。

 ところが、今、この写真集を見ると、未来のニュース映像を先取りして見せられたような奇妙でリアルな感覚に捉われる。関西空港で今まさに入国したばかりの人間が突然昏倒したのに、感染を恐れて誰一人として近づこうとしない「現場」や、接客業の女性が早朝、店のゴミ出しをしようとしたまさにそのとき、強毒化したウィルスに蝕まれ、心臓発作で死んでしまった「現場」にみえてくるのである。つまり、意識の回転扉が、死のイメージを美やエロティシズムに案内するのではなく、現実の死が溢れている社会問題群へと私たちを送り届けてしまうのである。

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2009/06/01




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