新刊書『リ・クリエイティブ表現術 発想~チューニング~書き方』のご案内(4)

 この本のなかで、誤読してはいけないと思われる箇所が、前回も触れた「イメージをなくす」というところだ。若い世代だけでなくオールドジェネレーションもまた、パソコン=インターネット文化という湯船に浸かったまま、ものを書いたり描いたり造ったりしていると、気に入らなければいままでつくりあげたものを簡単に白紙に出来ると勘違いしている。パソコンであれば、気に入らなければ、ゼロにリセットすることは簡単だからだ。しかも、パソコン自体が不調の時には、まずリセットしましょうと推奨されたり、自らの不注意やパソコンの不調によって泣く泣くリセットを受け入れざるを得ないというかたちで、「リセット教」が知らない間にどんどん布教されている。

 しかし、しかし、いうまでもなく、物事、そんなに簡単に無化できるものではない。気に入らなければ、即自己更新ができるなんて幻想にすぎない。至福の一瞬はそう簡単に繰り返されず、善行は一度や二度行なったからといって簡単に定着するわけではない。反対に、一度ついてしまった悪癖・悪習から人はそんなに簡単に抜け出せるものではない。脳髄のどこかに行動パターンが定着したり、身体の慣性が働くのであろう。いっそう不幸なことに悪辣な行状の者ほど、リセットは難しそうだ。娑婆に出た者の再犯率の高さがそれを証明している。要するに、簡単に自分を更新できるなどという期待は文字通り幼稚な発想に過ぎない。

 一般に楽園への解脱のスプリングボードのように考えられがちな「イメージ」というものもまた、ひとを繰り返し同じ場所に引き寄せ、その牢獄に繋ぎ留める力を有するという意味では、ひとのリセット不可能性のほうに実は与している。

 しかも、自分から追い求めたものでも創りあげたものでもない外から暴力的に押し寄せてきたイメージを振り払うこともできずに、そのイメージに支配されてしまうということは誰の身にも起こりえることである。(裁判員制度批判が、犯罪現場や被害者の凄惨な写真を見せられることによって生じるこのトラウマの問題に収斂してきていることは、イメージというものの強さと怖さと、イレース不可能性に多くのひとが気付いているからであろう。)

 そのようなことをいろいろと考えると、一度捉われ、ある物事に付随するイメージをパソコン操作の流儀で無化することなんて、ほんとうはできないのだ。もう一度、リセットして書き直してみましょう・・・なんて、夏休みの絵日記でさえ不可能である。

 いっけん、リセットしてイメージを無化したかのようにみえる場合にも、それは最初のイメージから弾かれて逃走して、たどり着いた境地のことか、反対のものを探し出したか、もとのイメージの贅肉をそぎ落としたり、不純物を取り除いたことで姿を現したものに縋り就いているにす

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批評 | 書籍・雑誌
2009/03/24




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