自らの変身譚(Story of Self-transformation)を紡ぎだしたピカソ自画像とのかかわりで採り上げられるのは、ピカソの変身譚ともいえるミノタウロスをテーマにした絵画作品群である。
サントリー美術館で開催中(2008年12月14日まで)の「巨匠ピカソ 魂のポートレート」展は、ピカソの自画像の発展上にアルルカンのシリーズやミノタウロスをモチーフにした一連の作品を広義のセルフポートレートとして位置づけ展示している。会場に掲げられた解説パネルには、ピカソ自身の自己像と関連づけながら一連の画題を整理している。すなわち、ピカソにとってアルルカンやミノタウロスは姿を変えた自らの自画像にほかならない。よくぞ、ここまで迷いの無い断定的解説をパネルにしたものだと、その「潔さ」が妙に印象に残る展覧会である。どのような美術館の誰の展覧会でも、通常の展示解説であれば必ずといってよいくらいその文面は曖昧である。例えば、「~なのではなかろうか。~といわれている。~というみかたもある。」といったような責任を回避する曖昧な語尾ばかりが並んでいる。
こうした断定の背景には、作者のピカソ自身がミノタウロスについて述べたメタフォリカルな次の言葉がある。
「もし、一枚のカードに私が通り過ぎてきたすべての道のりを記して、それを一本の線で結んだら、それはおそらく一頭のミノタウロスの姿を取るんじゃないかね。」(アンヌ・バルサダリ(Anne Baldassari)「ピカソ 自画像―画家の肖像」[図録所収]からの孫引き・出典は書かれていない。1960年代の言辞と書かれてある。)
パリ国立ピカソ美術館館長のアンヌ・バルサダリの解釈では、このメタフォリカルなピカソの言葉は次の文脈のなかで理解されている。
「・・ピカソが言わんとしているのは、最終的に画家を作り出すのは絵画なのだということである。ピカソの自画像とは、絵画の特徴である造形的柔軟性を備えつつ、絵画そのものの中から運まかせに出現してくるものの総和なのである。」(アンヌ・バルサダリ「ピカソ 自画像―画家の肖像」)
これはまたとびきり曖昧な、晦渋(abstruse)というよりも老獪(crafty)なたぐいの文章表現である。おそらく彼女が言わんとしているのは、絵画とは、(画家という存在を捨象しても)絵画自体がもつ内的な生命によって発展する生き物なのであり、画家はそのバイタルな絵画という存在に突き動かされ、働かされている従者に過ぎないということであろう。画家が絵画を生み出すのではなく、絵画が画家を生み出すのである。ひところ流行った人間が遺伝子を伝えるのではなく、遺伝子が人間という乗り物に乗り、その身体と脳髄を支配する存在なのだというレトリックにどこか似た表現であり捉え方である。
運任せに出てくるものとは
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