時代の空気とシンクロするヘッセの小説『デミアン』―その4―スチュアート・ヒューズ(H.Stuart Hughes)は1916年にニューヨークで生まれ、ハーバード大学にて芸術修士とPh.Dを取得後、ハイデルベルク、ミュンヘンの各大学で学び、パリで働いた。第二次大戦中は、イタリア、ドイツで情報関係部署の将校として働き、戦後は国務省ヨーロッパ研究部門で働いた後、スタンフォード大学を経て、ハーバード大学の歴史学教授の座に就いていた。
ヒューズの著作の特徴は、歴史上の事件や社会的事象との相関において、文学や美術等の芸術と哲学や政治思想を物語る鮮やかな語り口にある。歴史的な事象が始まるに先立って、醸成された時代の精神を見極めるドキュメントとして文学や哲学を紐解く方法と、歴史的な事件の反映として芸術作品を位置づける手法を巧みに絡め併せて論述し、人類の精神史を浮かび上がらせる筆致はきわめて魅力的だ。もちろん、作家同士の影響やジャンルを超えた人と人の結びつきという側面も十分にチェイスしている。
ヒューズは、さしずめ、歴史という壮大な叙事詩を朗々と読み上げる吟遊詩人に譬えることができるかもしれない。その該博な知識量について言えば、SF映画等に現れる宇宙人が地球の文物を理解するために、大きな図書館の蔵書すべてを何時間かで読み終えてしまう場面を連想させる。彼の頭の中には、いったいどれだけの思想書や文学作品がファイルされているのだろうか?
そのスチュアート・ヒューズの『意識と社会』(Consciousness and Society:The Reconstruction of Europian Social Thought 1890-1930/ みすず書房、1970)のなかで、ヘッセの『デミアン』(『意識と社会』翻訳書表記はデーミアン)がどれほど大きなインパクトを当時のドイツの読者に与えたかについて、トーマス・マンのエッセイが引用されている。
「この作品はうす気味悪いほど正確に時代の神経を打ち、若い全世代から感謝と狂喜を呼び起こした。かれらは自分たちのいちばん内面の生活の解釈者が自分たちのなかから生まれ出たと思ったのだ。ところが、かれらの求めていたものを与えてくれたこのひとは、すでに四十二にもなるひとであった。」(ヒューズ自身孫引き/原典不明)
この一文は、『デミアン』という小説が、はじめ、主人公と同名の偽名で出版された経緯を物語るとともに、とりわけ当時の青年層に大きな影響を与えたことを示す証言だ。
(1/3) 次»
コメント(0)|コメントを書く
カテゴリー一覧
最近のコメント
このブログを友達に教える