某対談

1か月ほど前に本ブログでアップした某講演(?)がきちんと対談の形で行われた。以下はその大雑把な(したがって正確性は保証しない)内容である。

       

K グローバリゼーションが(国内の)格差を拡大しているとの見解があるが、もはや企業活動は国内で完結しなくなっており(逆に国際的な格差は縮まっている)、国内で再配分をするモティベーションはなくなっている。

      

M 日本では、かつては何が公共的なものかの線引きが自明であった(共通感覚があった)。その下で再配分が行われてきた。しかし、今やそれは自明でなくなり、失われた共通感覚をルールで埋め合わせようとしている。

   

K 日本では、かつて警察が関与しなかったようなところにまで警察が関与するようになってきている(国家の暴力の対応領域の拡大)。それに対応して、(それまで警察が利用してきた)ヤクザを排除するようになっている。

   

これは、米国も同じ。冷戦時代は、ソ連に対応するため、周辺国の非合法のゲリラ(例:コントラ、アルカイダ)を支援していたが、冷戦後不必要になって手を切ろうとした。

      

M このような反近代的な「中間集団」があったとしても、ある種適合的になら擁護しても構わない、というのも近代主義の一種。

      

K 要は暴力のコントロール可能性。共同体的であろうが、制度的であろうが同じこと。しかし、最近は、これら中間集団をきれいにしようという特徴がある。

      

M 反近代的なものを国家が利用した歴史があるが、これを新自由主義的に断ち切ることを要求することは正当化してよいか、という問題がある。

      

K 理念よりは実態で判断すべきだろう。現在は、先の例でいえば、ゲリラの代わりに民間軍事企業によっている。セキュリティ産業も生まれている。

   

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シンポジウム、トークショー等 | 思想・哲学・社会
2008/02/28




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