1972年、9月。新潟の海で、執拗な超能力邪念母子との遭遇・・・!!!

やはり、あの9月のことを綴ろうとすると吐き気がこみ上げ、頭痛がしてくる。邪念による暴害はあるのだが、何より絶対に許せないという怒りがこみあげてきます。

1972年9月上旬の新潟の海沿いの民宿で、襖を隔てた隣の部屋にMと母親が泊まった。てっきり海水浴ができると思った私は喜んでいたが、できないと知ると「何でだめなの・・・」と母に文句を言っていたときに、隣の部屋に誰か来る気配。小太りな母子が泊まるようだったが2学年年下かなと思うその男の子と一緒にお昼を食べた。部屋食なのでお昼を部屋に持ってきてもらい、食べ始ました。

その時は、普通の母と子供に見えた。両親とMの母との会話も普通のあたりさわりのないことでした。

Mが食べる前に両手を合わせて「いただきます。」と言ったときは、むしろしっかりしていてお行儀のいい子だなと思いました。

「ああ、お刺身がある。」うれしそうに言ったので、私は自分のお膳の刺身の小鉢を「これ、あげる。私は食べないから。」「くれるの?」うれしそうに受け取った。

(今、思うとMは絶えず邪念で人にさせてきたので、あるいはそれをよこせ。という念をごく普通に使っていたのかも知れない。私は刺身は好きではないのであげたが、Mがどうしても欲しいとなると、お腹が急に痛くなった。などの別の理由で目当てのものを受け取っていただろう。)

それでも、同じ小学生の子どもがいたので、気がまぎれると、喜びました。Mの母はMを「M。」と呼んだが、それは女の子の名前で、私と母は思わず顔を見合わせました。(変わった名前)

母は私に100円を渡して、これでお菓子でも買って食べるようにと言う。私は、いつも母から小遣いをもらって友達と菓子屋に行くように、その男の子と階下の一角の土産物売り場に行き・・・そこで小さなおもちゃをみつけた。100円のミニボーリングゲームだ。今のようにおもちゃが沢山ある時代と違って、貴重だ。それに退屈だった。お腹はすいていない。母はいつもより菓子代を奮発してくれた。「これを買おうか。」私はMにそう言い、Mも同意したのでそれを買い、しばらくはMとそれで交代で遊びました。

それから、Mと私は外に出て、国道を越え、砂浜に降りました。曇り空でしたが、海を見ると、何とか足先でも海につかりたいなあと思いましたが、Mの海を見る様子で、私も気持ちが萎え、海をなんとなく眺めていました。どこから来たのか聞くと、京都からだと言いました。「名前、Mちゃんって女の子みたいな名前だね。いとこにMーちゃんって男の子がいるから、そう呼ぶね。」Mによると、Mという名前は○糸のように強く生きるという意味だと答えましたが、その時は糸に例えるのはやはり女の子のようだと今はわかり

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芸能・アイドル
2009/03/21




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