[Y08] 喫茶デルタ(空約束) 咲子は、時計を見た。まだ、4時になったばかりである。午後、休講が一つあったため、いつもより早く駅についてしまった。バイトは6時からの予定である。早くから事務所に行って、仕事をしてもいいのだが、そこまで仕事熱心でもない。
バイト先である事務所は、ビルの2階にある。3階建てのビルの3階部分は、以前までは怪しい健康食品のネット販売会社だったが、先月に引っ越したため、今は空いている。そして1階の喫茶デルタは、ビルが建った当初からあるという、木目調のレトロな喫茶店である。
店の中は薄暗く、人の姿も見受けられない。カウンターの向こう側には、置物と見紛うようなレトロな老人が一人、座って本を読んでいた。
「こんにちは」
咲子が声を掛けると、徐に老人が立ち上がり、コーヒーカップを用意する。何も言わなくてもコーヒーを淹れてくれるのは、この店のメニューがコーヒーしかないからだった。数年前、まだマスターの奥さんが生きているころには、喫茶メニューも充実していたそうだが、マスター一人になってからは、この店のメニューは消失した。コーヒーしか作れない、無口なマスターが経営する喫茶店、それが喫茶デルタである。
このビルの2階でバイトをしている咲子は、バイトの雇い主である山内と共に、この喫茶店の常連といってもいいだろう。咲子の知る限り、山内と自分の他に客がいるところを見たのは、片手で数えられるほどだ。それも、うっかり迷い込んでしまったサラリーマンだけである。
コーヒーが出るまでの間、咲子はカバンから小説を取り出し、続きを読み始めた。コーヒーの匂いの中、静かなこの店で小説を読む時間が、咲子は気に入っていた。誰も客はこない、マスターは無口、コーヒーは美味しい、長居しても怒られない、時間をつぶすには格好の場所である。
カランカラン、と店の扉が開いた。どうせ山内だろうと思って気にせずに次のページをめくろうとした矢先、思いがけないほどの若い声が咲子の耳を貫いた。
「じーちゃん! 俺!」
咲子の周りにはいないタイプ、パンクファッションの男の子。しかも、童顔、小柄でかわいらしい。
「来週の日曜のライブのポスター、店に貼ってくんない? あと、チケット欲しいって子がいたら、俺のケータイに電話してよ」
彼は紙袋から丸めたポスターを取り出し、カウンターの上に置く。カウンターの内側に回ったかと思うと、どこからかセロハンテープを取り出し、勝手に店の壁にポスターを貼り付けた。
そこでようやく、カウンターに客が座っていたことに彼は気付く。
「おねーさん、ライブ、興味ない?」
彼の後ろに見える、ポスターを眺める。ポスターのフォントやデザイン、そして目の前にいる
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