[Y02] 街中(サンダル)

「待って。もっとゆっくり歩いてよぉ」
 金曜の午後、急いで制服を脱ぎ捨ていつもの格好に着替えた彼女は、彼との待ち合わせ場所に向かった。待ち合わせとは、彼女の方が一方的にそう思っているだけであり、実際彼の方は彼女と待ち合わせたつもりはない。いつも金曜のこの時間に彼はここに来るのが習慣であり、それを知っている彼女は彼のいる時間に合わせてここに来ただけである。彼が歩き出すと、彼女も歩く。彼が座ると、彼女も座る。最初は、一緒の時間を共有できるだけで彼女は満足だった。しかし次第にそれだけでは物足りなくなり、ついに先を歩く彼に彼女はその言葉をかけてしまった。
「てめぇに俺の歩き方まで指図される覚えはねぇよ」
 冷たい言葉。だけど彼は振り返ってくれた。自分だけのために。彼の綺麗な顔立ちが、一瞬だけでも自分に向けられる。
 一緒にいること。その次に要求することは、相手の世界に自分を含めること。
 再び彼は早足で歩き出す。彼女は履きなれないミュールを履いてきたことを少しだけ後悔しながら、彼の後を追った。

 1年前の夏、彼女は彼と運命的な出会いをした。否、運命と思っているのは彼女だけだろう。運命というのは個人が勝手にそう解釈するだけのものである。
 親の言うままに勉強し、習い事をし、塾に通い、親の望む高校に進学し、親の望む大学に入る。小学生の頃は純粋に仕事の出来る父親といつまでも綺麗な母親を自慢に思っていた。しかし、それが上辺だけだったという事実を、彼女は中学2年の冬に気付かされることとなる。それから、今まで築いてきた彼女のアイデンティティーは、もろくも一気に崩れ落ちたのであった。
 彼女が今まで故意に目を背けてきた世界、忌み嫌っていた世界に足を踏み入れることとなる。口や態度は悪いが、誰もがありのままの自分を受け入れてくれる。学歴なんて関係なく、両親の存在なんてものも関係ない。片親しかいない子も少なくなかったが、それでもみんな自分のために生きている。
 知らなかった世界。自由な世界。
 彼女は知らず知らずのうちにその世界に浸るようになってきた。

「あっ」
 小走りで走っていたため、バランスを崩し、彼女は倒れそうになった。冷たいアスファルトに手をつき、足首を押さえる。捻ってしまったようだ。足首の奥が痛む。
「ったく、んなサンダルなんか履いてっからだよ」
 一瞬だけ立ち止まり、彼女に声を掛ける。彼女が顔を上げると、彼は再び前を向きなおして歩き出す。
「待って……」
 冷たい男。待ってなんてくれない。
 それでも痛い足を引きずりながら、彼女は彼を追いかけるのであった。

Act.1 --yellow--
2006/02/05




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