皆川城をゆく

皆川城は法螺貝城である。

小山駅で両毛線に乗り換え、栃木駅で降りる。北口に出て駅前の栃木市案内図を見ると「皆川城址公園」というのがある。タクシーに乗り運転手さんに行先を告げるが、場所がよくわからないという。とりあえず「皆川城カントリークラブ」を目指してもらうが、途中で「皆川中学校」に変更する。運転手さんによると、栃木駅からのバス路線は国学院行きを残して全て廃止されたとのこと。

近づくと、皆川城はすぐにわかった。

皆川地区公民館側から上るが、「皆川城址」の説明板には次のようにある。

室町時代皆川氏を名乗った長沼秀宗が築いたこの城は、山の形をそのまま利用したものでその形から「ほら貝城」とも呼ばれている。城山を登るとその中腹に井戸の跡や土塁武者走りが残っていて、当時をしのばせる。

城址公園とあって、上るための道は整備されていた。南東側から上り、小さな池のある郭に出た。「池注意」とあってロープが張られている。覗き込もうと近づくと、蛙が池に飛び込んだ。驚いて離れ、また近づくともう一匹が飛び込む。もう一度近づくとさらに飛び込みがあった・・・芭蕉を思う。

西の郭へ上がり、西の虎口から東の郭へ向かう。

本丸山頂には「栃木 指定史跡 皆川城址」の石碑があった。見下ろすと景色は良い。南側には山が見えるが、東側は平野が広がる。北側には皆川城カントリークラブがあった。

山の南西側へ下りて行き、東側へまわる。どうやら一周はできないようなので、一旦戻り、上って行って今度は山の西側へ下りる。下りて北側へまわるが、陽の当たらない北側の土は前日の雨をたっぷり含んでいて滑りそうであり、道も狭い。この道を進むと山頂へ行くようだが、ここはあきらめて引き返す。

途中、近くに住んでいてウォーキングにきているらしい人と話した。その人によると池の近くに井戸があるとのこと。全然気付かなかったので、再度確認のため上がって行く。

確かに池の左側に井戸らしきものがあるのだが、表示は何もない。「池注意」の標識があるので池の方が目立つ。

下りていき、金剛寺に向かう。振り返ると、法螺貝の渦巻きが見えた。

金剛寺には皆川城歴代城主の墓地がある。「皆川家歴代祖廟」の説明板には次のようにある。

下野国の名族藤原秀郷を祖とする皆川氏は長沼五代・奥州長沼五代を経、長沼五郎秀宗の時にこの地に移りその子氏秀に至り皆川姓を名乗り、永享元年 1429)観音山に皆川城を築いた。その後、たび重なる合戦を経た後、皆川広照の代、豊臣秀吉の小田原城攻めに際し徳川家康のもとに降伏し、江戸時代には旗本として幕府仕えた。しかし、戦国時代より遺

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旅行・地域
2009/05/09




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