白石城をゆく

白石城は桜の公園であった。

東北本線の白石駅で降りる。駅前に鐘があって「歓迎 鐘響都 白石」とある。後になって意味が分かり、なるほどと思った。正面には「元祖 白石うーめん」の店があり、帰りに寄ろうと思う。

駅前通りをまっすぐに進み、白石城駐車場の脇を通る。このあたり「城来路(シルクロード)」とあり、感心する。「俺が行かずば誰が行く 伊達の先陣 片倉小十郎」の白旗と「白石城」の黄色い旗が並ぶ。

所々に桜が見え始め、さらに進む。この時期、白石城は「さくらまつり」の期間中で、桜ぼんぼりが並ぶ坂道を上っていく。「白石城東口門跡」を過ぎ、石垣を見る。

「白石城歴史探訪ミュージアム」があったが、後で寄ることにした。このあたりは天守閣と大手二ノ御門が桜越しに見えて美しいのでデジカメで撮る。

広場にある説明板によると、白石城(別名 益(桝)岡城)の歴史の概要は以下のとおりである。

天正十九年(一五九一)豊臣秀吉は、伊達氏の支配下にあったこの地方を没収し、蒲生氏郷に与えた。蒲生氏家臣蒲生源左衛門郷成は城下町を含む城郭、白石城を築城し、城主となった。慶長三年(一五九八)上杉領となってから上杉氏家臣甘粕備後守清長は白石城の再構築を行い居城した。慶長五年(一六〇〇)関ヶ原合戦の直前、伊達政宗は白石城を攻略し、この地方は再び伊達領となり、伊達氏家臣である片倉小十郎が大改修を行い、以後明治維新まで二百六十余年間片倉氏の居城となった。元和元年(一六一五)の一国一城令以後も仙台藩は幕府から青葉城と白石城の二城が許され、明治維新には奥羽越三十一列藩同盟がこの城で結ばれ、公議府が置かれ輪王寺宮が滞城された。その後按察府の設置、兵部省兵隊屯所になるなど、日本の歴史の転換期には一役を担う重要な城であった。

広場には「きゃっするくん」というバスが止まっていて、「片倉小十郎見参!」とボディにあった。城とミュージアムと武家屋敷の共通入場券600円を買い、登城する。

大手一ノ御門を抜け大手二ノ御門をくぐると、本丸御殿跡は桜で満開であった。

本丸御殿のほぼ中央に片倉小十郎景綱公領徳碑があり、見上げると天守閣もある。また、「白石城」という立派な石碑もあり、背景に天守閣と桜を入れてデジカメで撮る。

鐘堂を見て、天守閣に登る。木造で復元された天守閣は、外観もそうだが中もまだ真新しく、石落としや狭間もある。天守閣の上から見下ろすと公園の桜や市街、そして遠くの山々が見渡せた。

本丸を下り、二ノ丸側から石垣と天守閣を見上げる。二ノ丸の公園から天守閣を臨むと、桜から首を出す天守閣があった。

白石城歴史探訪ミュージアムに戻ると、

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旅行・地域
2009/04/11




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