逆井城をゆく逆井城は公園となっている。
逆井城はかつて一度訪れたことがある。冬の寒い日の午前に車で着き、一人で大堀のあたりにいたら公園内のそば屋の店主が出てきてくれ、パンフレットをいただいた。そば屋は開店前でまだ時間があり、寒いので少し居て帰ってきてしまった。
今回再度訪ねるために調べたが、やはり公共の交通機関と自分の足で向かうのはかなり厳しいことが分かり車で行くことにする。また、今回は今まで苦楽を共にした500万画素のキャノンのデジカメが故障したため、後継の1000万画素のデジカメと共に出かける。思えば、コンクリートの地面にも落したし、雨に濡らしたこともあった。
常磐自動車道の谷和原ICで降りる。国道294号線を北に向かい、少し行って左折する。鬼怒川に架かる玉台橋を渡り、真っ直ぐに進む。しばらく行った菅生南の交差点を右折し、道なりに走る。一旦通り越してしまい、戻って神田山の延命院に入る。神田山は「かどやま」とのこと。
延命院に入ると、「神田山」は「将門山」と表記されている。案内によれば、平将門は、天慶三年(九四〇)二月一四日の夕、戦に敗れて本陣に帰る途上で矢に射られて三十八歳の生涯を閉じた。首は京都に送られたが、後に武蔵国柴崎村に葬られた。胴体はこの延命院境内の一隅に埋められて将門山と呼ばれた、とのこと。今日が二月一五日であることを思い、胴塚の前で手を合わせる。
神田山交差点を左折し国道354号線に入る。馬洗橋を渡り、辺田交差点を過ぎて岩井の町に入り、交番前を右折する。しばらく進んで、国王神社の鳥居の前に出る。
国王神社の祭神は平将門である。本社に秘蔵される将門の木像は将門の三女如蔵尼が刻んだとの伝説があるが、神像として珍しく、本殿とともに茨城県文化財に指定されていると、「岩井市」時代の案内板にある。鳥居をくぐり、参道を歩いて社殿に手を合わせる。
社殿の隣の公民館に車を移動させ、歩く。このあたり、平将門に関する史跡があるという。
民家にはさまれて、わずかな空間がある。中央の石碑には「島広山・石井営所跡」と刻まれており、右側の副碑には「石井営所跡之記」として説明文が添えられている。周辺には農地が広がっていて、この碑がなければ、この地がかつて平将門が関東を制覇するときの拠点であったことを想像することはできない。延命寺に向かうためにゆるやかな坂を下りると、石碑のあたりが「島広山」という「台地」であったことを知る。
延命寺は島広山の台上に石井営所の鬼門除けとして建立された。藤原秀郷、平貞盛等に石井営所一帯を焼かれた時、薬師如来像は移し隠され、その後現在地に祀られた。後に守谷城主相馬家が本堂、薬師堂、山門を建てたが、その後火災にあ
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