世田谷城をゆく世田谷城は今は小さな公園であった。
小田急線の豪徳寺駅で降りる。
東急世田谷線に沿うようにして南へ進み、区立世田谷小学校らしい建物を線路越しに右に見て左折する。豪徳寺の塀を右に見て進んで行くと裏門があるが、ここからは入れず、ぐるりと回る。
ようやく豪徳寺の山門に着くと、左手には「都史跡 井伊直弼墓」の石碑があった。
入って行くと、左手に真新しい三重塔があり、奥に進んでいくと井伊家墓所があった。墓所入口の手前左手に世田谷区教育委員会による「国指定史跡 彦根藩主井伊家墓所」の案内板があり、平成20年3月に国史跡に指定されたとのこと。
墓所に入り、まっすぐに歩いて右に進み突き当たりを左折すると、一番奥に「都史跡 井伊直弼墓」の案内板がある。幕末の苦労を思い、墓に手を合わせた。
案内板によると、豪徳寺は、世田谷城主吉良政忠が伯母の菩提のために建立したと伝える弘徳院を前身とする。彦根藩成立後、井伊家の菩提寺に取り立てられ、藩主直孝の法号により豪徳寺と改称した。仏殿、梵鐘などが当時のままに現在に伝えられているという。
仏殿は閉まっていて、「扉(小窓)の中にお賽銭箱があります 御参りが済みましたら扉(小窓)は必ず閉めて下さい。」と手書きの紙が張られている。小窓を開けて賽銭を入れた。
仏殿は1677年に完成したもので、世田谷区指定有形文化財とのこと。同じく梵鐘も世田谷区指定有形文化財(工芸品)とのことであった。
奥の社務所でお守りを買い、山門を後にする。豪徳寺住宅の手前に空き地があり、今は入れないが駐車場らしい。堀の跡のような地形が見える。
豪徳寺の参道には松が植えられていて、趣きがある。参道入口を出て左折し、豪徳寺住宅の手前の民家の東側にある土塁を見て、世田谷城阯公園を目指す。
世田谷区教育委員会の案内板によると、世田谷城の概要は以下のとおりである。
世田谷城は十四世紀後半に吉良氏が居住したのに始まると伝える。吉良氏は清和源氏・足利氏の支族で、世田谷吉良氏はその庶流にあたる。はじめ鎌倉公方に仕え、その後関東が乱れると関東管領・上杉氏やその家宰太田道灌に与力し、十六世紀には北条氏と結んだ。吉良氏は北条氏と婚姻関係を結び、その庇護下にあったが、1590年、豊臣氏の小田原攻略により世田谷城も廃城になった。
世田谷城阯公園は石を用いて整備された小さな公園であった。堀の跡を進んで行くとフェンスに遮られてしまうが、フェンス越しに見える地形が本来の城の跡であろう。
世田谷城阯公園から、東急世田谷線の線路を渡り勝光院を目指す。勝光院で「世田谷区指定史跡 吉良氏墓
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