大庭城をゆく

大庭城は公園になっている。

東海道本線の辻堂駅で降りる。辻堂駅には北口はなく、西口と東口があり少し迷って東口に出る。

駅の北側は工事中で、階段を下りて線路に沿って東に歩き、少し戻って県道に入る。県道307号線は駅前商店街の中を通っていて、ほぼまっすぐに歩いて行く。

かなり歩いて、突き当たりを右折すると和菓子屋がある。御菓子処「丸寿」で明治神宮献上銘菓「大庭城最中」を買い、背負う。

国道1号線の城南交差点を渡ると、右側には台地が広がっている。そして県道43号線もゆるやかに坂道を上がって行く。

しばらく行くと、左側に舟地蔵公園がある。中央の広場にはシンボルツリーが3本あり、その周りは花壇になっていて色とりどりの花が咲いている。が、肝心の舟地蔵がどこにあるのか分からない。

やっと見つけた舟地蔵は、小糸川を渡ったところにあった。町内会の案内板によると、

その昔、北条早雲が大庭城を攻めたとき付近一帯は沼地で、なかなか攻め入ることができなかった。北条方は沼近くに住む老婆から引地川の堤を切れば沼は干上ることを聞き出したが、秘密漏れを防ぐため老婆を斬り殺してしまった。その結果、北条方は、ようやく城を攻め落すことができたという。舟地蔵は、殺された老婆を供養するため建てられたとのこと。

目の前が大庭城なのだが、裏にまわる。小糸川に沿って歩き、椿の咲く駐車場に出る。どうやら、こちら側が大庭城址公園の正面のようだ。

整備された坂道を上がっていくと、広場に出る。案内によると、

大庭城は源平合戦で有名な大庭景親が居城したのが始まりといわれ、室町時代中頃(15世紀後半)には扇谷上杉氏の執事、太田道灌が本格的な築城を行ったと伝えられている。扇谷上杉氏の守る大庭城は、永正9年(1512)、北条早雲に攻められて落城し、その後は北条氏の支配下に入った。やがて、北条氏は豊臣秀吉に滅ぼされ、廃城となったとのこと。

広場は広く、草木などの手入れも行き届いている。家族連れや犬と散歩をする人たちも多い。東側は見晴らしが良いが切り立っており、公園なので柵がある。

広場はいくつかの区画の分かれていて、城跡であることを思い起こさせる。土地が低くなっている部分には、「からぼり」と刻まれた石が置かれている。多分、公園にするためにかなり埋められたのではないだろうか。

西側は木々が茂っているが、下を覗き込むと、空堀などの地形が見える。しかし公園なのでロープが張られていて、無理して下りていくわけにもいかない。

館址広場は一の郭と思われるが、ここに行く道の両側にある空堀は立派である。館址広場に入る

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旅行・地域
2008/12/21




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