結城城をゆく

結城城は要害である。

水戸線の東結城駅で降りる。無人駅で、車掌に切符を渡す。

踏切を渡って北へ歩いていく。このあたり、家に外灯を建て、柱に苗字を高く掲げている。門に表札を付けているが、外灯にも苗字がある。個人の家でもそうである。

本場結城紬生産直売の看板を見ながら歩いていくと、右側に乗国寺という寺がある。由緒書きを読むと、結城家の菩提所として開創されたとのこと。

さらに北に歩き、ゆうき動物病院のある交差点を左折、少し行って右側に進む。道に松月院の標識があり、右折する。

松月院は曹洞宗の禅寺であり、開基は結城家十七代晴朝であるという。新しい庫裏客殿が建つ。

松月院を出て少し行くと標柱があり、児童会館の近くに史跡慈眼院結城家御廟がある。ここには結城家初代・朝光から十六代・政勝に加えて明朝、さらに、妙仙ほか無銘の二基を含めて、二十基の花崗岩製の五輪塔が並んでいる。かつてこの地は慈眼院という曹洞宗の寺院の境内で結城家歴代の御廟としてふさわしいものだったとのことだが、今は周囲に塀もない。「結城百選」という標柱があった。

グラウンドを右に見て歩いていくと、左側に用水路が流れ、右側にも水が流れている。このあたりが結城城の外堀なのだろう。前方を見ると、少しずつ高くなっていく。

用水路に沿って少し行き、公園を右折する。公園の銀杏が黄色い。

東館を右に見ながら右折し、中城を上がっていく。館に入る土橋の両側は竹藪で、覗くと堀が見えた。

まっすぐの道を少し行くと、「みかつきはし」という橋がある。橋の下には石が敷き詰められていた。下りて行って、デジカメで橋を撮った。紅葉も撮れた。

浄水場の前に案内板がある。浄水場の前の道路はかつて館と西館を結ぶ土橋であったとのこと。南側には大きな空堀が広がっている。結城城は、鬼怒川と田川によって形成された低地に突き出た台地を利用して築かれた。したがって、城の周囲は沼や深田で取り囲まれたうえ、さらにその北側から東側にかけて田川が流れるなど、平城でありながら天然の要害であったとのことである。

空堀の東側はほうれん草畑で、「今年だけこの畑のほうれん草をご自由にお持ち帰りください。」とあった。

城跡公園の入口に「結城市指定史跡 結城城跡」の案内板がある。結城城は結城朝光が築いたとされる。室町時代には結城家は関東八家の一に列して勢力をふるい、戦国時代には宇都宮・佐竹らと伍して生き残り、1591年徳川家康の二男秀康を十七代晴朝の養子にもらい受け、1601年越前福井への国替えまで関東の雄として栄えた。結城の名を不朽にしたのは1440年の結城合戦である。関

(1/2) 次»

旅行・地域
2008/11/23




コメント(0)|コメントを書く

カテゴリー一覧
最近のコメント

このブログを友達に教える

コミュニティ | 有名人・芸能人ブログ | ケータイ占い | ケータイ小説 | 掲示板


画面TOP↑


powered by cocolog