[音楽] [研究] ベーブ・ルースのまねびあるいは《マクロプロス家の事》との対決再び

ベーブ・ルースばりのホームラン宣言を一つ。

12月初旬の博論提出に向けた本文執筆作業という名の難行苦行(あと約180枚弱ある……。もう死にそうです)とは別に、今年度中にオペラ《マクロプロス家の事 Věc Makropulos》を取り上げた楽曲分析論文でホームランを一本打とうと思います。これを取り上げるのは、ヤナーチェクが書いた楽曲の中でもとりわけ悽愴苛烈なものであり、個人的にも最も深い思い入れがある作品であるからということもあります。実は、某バカ田大学の露文科の卒論で取り上げたのもこの作品でしたし(スラヴ諸語で書かれたものだったら何でもOKという太っ腹な方針だったので、このような暴挙が許されました。ちなみに、論文の中身はおよそ「論文」と呼び得るものからは程遠く、単なる作品への「ラブレター」のようなものでした……)、そもそもチェコ語を勉強し始めたのもヤナーチェクの最後の3つのオペラやクンデラの小説を原語で理解できるようにしたいというのがきっかけでした。

チェコ語を学び始めた動機と言えば、チャペックの作品が読みたかったとおっしゃる方が多いのですが、わたしはチャペックの作品は今も昔も大嫌いです(特に、戯曲は下らなくて仕方ありません。『マクロプロス』に関しては、ヤナーチェクの台本の方が無茶ではありますがよくできていると言っても過言ではありません)。初期の短篇や晩年の「哲学的三部作」そして童話には高い文学的価値があることは認めますが、中途半端で小市民的なみみっちい価値観を何ら疑わないところが読んでいて不愉快なのです。なので、チャペックの作品をせっせと読む暇などがあれば、同じチェコ語で書かれた文学作品でしたら、『兵士シュヴェイクの冒険』で有名なヤロスラフ・ハシェクや当無礼ログの屋号として勝手に借用している表題の小説で有名なヴラヂスラフ・ヴァンチュラや平易な言葉で瞑想的で謎めいた詩をたくさん書いたヤン・スカーツェル Jan Skácel やみなさんご存じのミラン・クンデラたちの作品を読んでいた方が、はるかに人生のためになります。

まあ、そんな個人的なうだうだした話はどうでもよいでしょうから、本題に戻りましょう。音楽と物語が持っている異常なまでの推進力――要するに、全然訳が分からないながらも音楽の力によってぐいぐいと物語世界の内部へ力づくで引きずられてゆく――という点では、一昨年ブーレーズとシェローが取り上げて話題になった《死の家より Z mrtvého domu》以上のものであると言っても過言ではありません。ですが、それだけではありません。最晩年の3つのオペラひいては1920年代のヤナーチェクが実作において何を実現させようとしたのか、そして音楽作品においてそれらをいかにして実現させよ

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音楽
2009/05/18




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