峠にて思ったこと 連休を利用して家族と共に、アケボノツツジを見に石鎚山を目指しました。
残念ながら途中より濃いガスに包まれ、視界十メートル位となり止むなく引き返すことにしました。
このまま帰途につくのも癪なので、私が度々訪れる池川町の大規模林道に向かうことにしました。ここからだと向かいの山のアケボノツツジが遠望できるからです。
しかし、これも今年は寒さのせいなのか、いつもなら楽しめる鮮やかなピンクのまだら模様が全く見られません。仕方なく路傍のイタドリを採ったりしましたが、いかにも不完全燃焼です。
そこで以前行ったことのある近くの「水の峠」へ向かいました。ここに一本だけ白ヤシオがあるのを思い出したからです。花の季節には早すぎますがとりあえず行ってみることにしました。7,8年ぶりのことなのでちょっと道に迷ったりしましたが何とか無事着くことができました。ここは標高およそ千メートル、周囲の山が低く見えます。下界とはすっかり季節が異なり肌寒く、ミツバツツジが満開の時を迎えています。さっそくお目当ての白ヤシオをさがしましたが、以前たしかにあった場所になぜか見当たりません。よく見ると、ミニ八十八ヶ所ということでお地蔵さんが上下二段になってずらり並んでいます。どうもこのため取り除かれたようです。ミニ八十八ヶ所もいいけどあの大木の白ヤシオをこぐなんて・・・。いささか無念の思いをいたしましたがどうしようもありません。手持ちぶさたにぶらぶらしていますと大師堂という小さな祠がありました。以前来たときも確かにあった筈ですが、ほとんど記憶に残っていません。すぐ傍に勤皇の志士従五位中島與市郎殉難の地という小さな石碑が建っており、簡単な説明が裏に書かれていました。後でパソコンで詳しく調べたところ、いきさつは次の通りです。
『元治元年(1864年)11月、勤王の志士、中島與市郎、中島作太郎(後の信行)、細木核太郎ら三名は出身地土佐市からこの「水の峠」を越えて脱藩を謀ったが、途中辻番所でとがめられ、仕方なく番所役人を斬り関所破りをしてしまう。追っ手から逃れるべく急ぎに急いだのが祟ったのか與市郎は「水の峠」辺りで足痛に苦しみ一歩も動けなくなり、仲間二人と別れて大師堂に籠ったのだが、ついに追っ手に取り囲まれ
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