『浄土宗大辞典』に掲載された女人成仏関連の解説

前回、女人成仏・女人往生に関する諸辞典の記録を挙げておいたが、今日は『浄土宗大辞典』三巻に挙げられた関連項目を挙げておく。
日蓮教学を中心として勉強をしてきた私にとって、浄土宗における女人成仏に関する説明は、かなり新鮮であった。ひとまず今回は解説だけを挙げておき、後日に私見を述べてみたいと思う。

にょにんおうじょう【女人往生】女性も極楽浄土に往生できるということ。古来インドでは、女性蔑視の傾向があり、女性は五障があって仏に成ることがでぎないとか、浄土には女性はいないという考え方があった。これを解決するために女性は男性に転化(転女成男―てんにょじょうなん―・変成男子―へんじょうなんし―)して成仏するという考えが成立した。女人往生の場合にも、転女成男の考え方が重要な意味をもっている。『無量寿経』の第三五願には、「もしわれ仏を得たらんに、十方無量不可思議の諸仏世界にそれ女人あって、わが名字を聞いて、歓喜信楽して、菩提心を発し、女身を厭悪せんに、寿終の後また女像とならば正覚を取らじ」と浄土に往生して男子の身に変わるよう誓われている。のちに法然上人はこれを「女人往生の願」と名づげ、親鸞は「変成男子の願」と呼んだ。曇鸞は『論註』上で、女人と根欠と二乗は浄土に往生できないという説に対して、「仏もと何故ぞこの願を興したまえる。ある国土を見るに仏、如来、賢聖等の衆有りと雖も、国濁るに由るが故に一を分ちて三と説く。(略)わが国土をして皆これ大乗大味、平等一味ならしめ、根敗種子畢竟じて生せず、女人残欠の名字もまた断たんと」として、女人、根欠、二乗は往生できないというのではなく、極楽浄土にはそれらの名称すらなく一味平等であると解釈した。善導は『観念法門』に、『無量寿経』の第三五願を解釈して「乃ち弥陀の本願力に由るが故に、女人、仏の名号を称すれば、正しく命終の時、即ち女身を転じて男子と成るを得。弥陀は手を接し、菩薩は身を扶けて宝華の上に坐しめ、仏に随って往生し、仏の大会に入りて無生を証悟す。また一切の女人、もし弥陀の名願力に因らずんば、千劫万劫恒沙等の劫にも、終に女身を得ることを転ずべからず、まさに知るべし。今あるいは道俗ありて、女人、浄土に生ずることを得ずといわば、これは是れ妄説なり。信ずべからず」と説き、女人が往生できないという説を批判し、転女成男は阿弥陀仏の本願力によると強調した。曇鸞、善導の所説に、男女の差別意識が受けつがれているのに対して、法然は往生業としての念仏は男女平等に行なわれるものであり、平等に往生できると説いた。「禅勝房にしめす御詞」には「念仏申す機は、むまれつぎのまゝにて申す也。さきの世

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宗教・仏教
2008/03/03




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