フス派 と ウィクリフ歴史の中には、「気にはなるけど、放置したまま」になってしまう事柄があります。
昔、高校で、
「ウィクリフの考え方が、イギリスへの留学生によりチェコに輸入され、フス派に影響を与えた」と、学んで、
「フランスやイタリア等ではなく、何故 チェコ人が イングランドに留学したのかな」
「ウィクリフは、何故 チェコだけに広まったのかな」
と、気にはなりましたが、それ以来40年以上、放置してきました。
ウィクリフ 生没年 1320頃~1384 享年 64才位
フス 生没年 1370頃~1415 享年 45才位
最近、ゴンサレスの「キリスト教史 上巻」を読んでいたら、
「当時、イングランド王リチャード2世が、ボヘミアの王女の結婚していた関係で、
多くのチェコ人学生が、イングランドで学んでいた。
このため、ウィクリフの著作は。彼らによってボヘミア(チェコ)にも持ち込まれた。」
との記述を読んで、
びっくりすると共に、早速「ウィキペディア(英語版)」で、調べてみました。
出所;ゴンサレス「キリスト教史 上巻」374㌻
リチャード2世は、
1382年1月22日 神聖ローマ皇帝 兼 ボヘミア王 カール4世の娘 アン・オブ・ボヘミア と結婚しているのです。
アンは、可哀想なことに、12年後の 1394年6月7日に ペストで没しています。
リチャード2世は、 1396年 フランス王 シャルル6世の娘 イザベラ と再婚しています。
アン 生没年 1366年7月11日~1394年6月7日 享年 27才
リチャード2世 生没年 1367~1400 享年 33才
カール4世 生没年 1316~1378 享年 62才
アンは、父カール4世が没してから、15才で イングランドに嫁いでいます。
10代のアンが嫁いだイングランドに、チェコ人が多数留学したというのですから、
チェコ人がイングランドに留学したのは、
アンの父
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