ふかんざぜんぎかつて観る超凡越聖、坐脱立忘も此の力に一任することを。
心理学やゆいしきあらやしきなどのこと、まったく及ばないんです、デビットという投擲の選手があった、あるとき投げ終わって始めて投げたということに気がつく、記憶がまったくないんです、そうしてハイスクールの州記録を作った。どういうことかと大学に入って後、図書館で調べてみると、東洋の禅だという、海を渡って日本へきた、あっちこっちろくでもなのにたぶらかされながら、老師のもとへ参じた、じきに得ることがあった。不思議な体験なんです、思議によらず、不思量底如何が思量せん、箇の無体験、無覚の覚とはまったく記憶にないんです、だったらどうするかという、もとに収まっているんです、忘我あり意識ありする、これをほんとうにわがものにする、手前味噌ではまず無理です。印下という仏ほとけに単伝するんです。いい加減な手前味噌ばっかりの世の中、なんせうんざりします。超凡越聖というただの人、比較を絶するんです、坐脱立亡と、坐って坐ってそりゃ坐り抜くより方法がないです。ふかんざぜんぎを手前味噌に読んだら、そりゃもう罰当たりのどうしようもないんですが、100人が100人あるいはその類です。まずもって一人じゃどうにもならんのが参禅です。単純を示すがてめえでてめえを見る二分裂になる。
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