プロレスのこと

 プロレスをテレビで毎週見たのは小学生の時代である。そのころは国民的英雄だった力道山がすでに亡くなっており、ジャイアント馬場の時代になっていた。曜日は忘れたが夜の8時から試合が中継されており、レスラーに対する花束贈呈とか試合の合間の三菱掃除機の宣伝を思い出す。中継は家族全員で見ており、それはスポーツを見るという感覚ではなく、文字通りひとつのショーなのであった。馬場さん以外では後に新日本を立ち上げるアントニオ猪木、吉村道明が記憶に残る。外人レスラーではザ・デストロイヤー、フィリッツ・フォン・エリック、ボボ・ブラジルなどが思い出される。

 馬場さんは優秀なレスラーであると同時に実業家だった。若いころは巨体にも拘わらず動きが俊敏で、特に32文のドロップキックは迫力があった。晩年は加齢とともに動きが悪くなり、16文キックは相手から当たりに来ているのが見え見えの様であった。経営の哲学も持っており、読書家で、レスラーの面倒見もよかった。アブドーラ・ザ・ブッチャーの手記を読んだが、全日本プロレスは地方の巡業を主体に興業を行っていて、日本のレスラーも外人レスラーも一緒に(バスは別々だったようだが)移動していた。夜は馬場さんが率いて全員で食事に出かけ、よく御馳走になったそうだ。プロレスは興行であり、レスラーたちはいわば仕事仲間なのである。したがって、相手に怪我をさせたのでは仕事にならないから、重い怪我をさせない範囲で技をかけなければならない。それが暗黙のルールになっていたと思われる。そのルールのなかで、反則も含め、試合が進んでいくのである。何事もルールなしでは成り立たない。

 全日本、新日本以外にも国際プロレスの中継があった。他の団体より地味で、中継される会場も静かだったように思う。ストロング小林以外では、力道山と同じように角界出身の豊登が参戦していた。腕を振って脇の下をパコパコいわせるしぐさが付き物だったが、あれは何の意味があったのか未だに分からない。あれで外人レスラーを威嚇できるわけでもあるまい。外人ではビル・ロビンソンが参戦していた。英国出身の紳士を売り物にしたレスラーで実力もあった。フェアなレスリングをすると拍手が沸いた。それほど外人は悪役を演じるパターンが定着していたのだ。しかし、いろんな売り方があるものだ。

 今は違った流れもあるが、格闘技ではないからレスラーたちにも凄みはない。デストロイヤーは渋谷で見かけ、ラッシャー木村は高田の馬場ですれ違ったが、普通のおじさんであった。これに対し、新宿で見かけた極真空手の中村誠には殺気を感じた。昔のプロレスは2日に1回ぐらい試合をしていたが、空手はそんなに試合はできない。ボクシングでも多くてせいぜい月1回である。チャンピオンなら年3~4回だ。

 以上取り留め

(1/2) 次»

スポーツ
2009/04/29




コメント(2)|コメントを書く

カテゴリー一覧
最近のコメント

このブログを友達に教える

コミュニティ | 有名人・芸能人ブログ | ケータイ占い | ケータイ小説 | 掲示板


画面TOP↑


powered by cocolog