母が欲しかったもの母の隣のベッドに、新しい患者さんが入った。
総入れ歯をはずした顔はどう見ても80代後半かと思われ、
だけど指には指輪が光り、爪にはマニキュアが施されている。
時々腕を伸ばして宙を泳がせている以外は、ずっと静かに横たわっている。
時々顔を見せるという男性を、母は隣の女性の旦那だという。
「いい歳して気持ち悪いのよ。手なんか握っちゃって、
『お母さん、すっごくいい顔してるよ。ほんとにきれいだね、きれいだきれいだ』
って、べた惚れなのよ。馬鹿みたい!」 と吐き捨てるように言う。
私は先日、その「旦那」とやらを見た。
どう見ても60代前半。まだまだ動きも軽やかな、隣の女性の「息子」である。
確かに息子、やたらに口が上手くって、
「お母さん、ずいぶん元気な顔になったよ。入院したときより
ずっといい顔してるよ。早く治って、ご飯を食べられるようにしようねぇ」
そう言いながら、母親の手を握り、擦っている。
「何よ、息子じゃない。どう見たって息子よ、あれは」と
私は母の耳元に顔を近付けて、小声で囁く。すると母は、
「息子があんなふうに、母親の手なんか握るわけないでしょ。あれは旦那よ」
と言い張る。
「お母さんって呼んでるじゃない」と私がさらに言うと、
「そう呼ぶ夫婦だっているでしょ」と、どうにも「夫婦説」を曲げない。
母いわく、隣の女性は老けて見えるが自分よりも年下にちがいない。
あれは間違いなく夫だ。
私もそこまで否定する気もないので、「ふ~ん、そうなの?」ってことにした。
「息子」は口が上手いだけあって、さすがに調子がよく、
「ああ、お母さん、眠たいんだね。そうなんだねぇ。
じゃあもう帰るからね。ゆっくり休むんだよぉ」などと甘く呼びかけ、
あっという間に病室を去っていった。 ふ~ん…
今日母の元を訪れると、母は昨日隣にもう一人の男がやってきたと話す。
「旦那の弟らしいの」って母は言う。
母の中ではなんとしてでも「旦那」なのだ。
「旦那の弟」は大男で目がギョロリとしていて、汗臭いんだそうだ。
「兄の妻」が目を覚まさないのでなんとなく居場所がなく、
部屋の真ん中に突っ立っていたんだそうだ。
「私、何かされるんじゃないかって、ドキドキしちゃった」と
母は乙女の恥じらい?を見せる。
今でも時々、自分がまだまだ若くて綺麗で、
そういう
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