◆ヴェネチアンガラス

15世紀から18世紀にかけてヨーロッパガラス工芸の主役となり、特にルネサンス期の15世紀から16世紀にかけて最盛期を迎え、ガラス市場をほぼ独占した歴史的なガラスの生産地域。同時に各国のガラス工芸にも大いなる影響を及ぼした。ただ、ヴェネチアという都市の形成自体が未だ解明されていない為、起源については定かではなく不明な点が多い。古代ローマ帝国の吹きガラス技術がこの地で継承されていたと思われ、7~8世紀頃になるとその頃のガラス工房跡やガラス片が出土しており、ヴェネチアにガラス製作が定着していたことが判る。また982年には、既にガラス専門の職人のいた文献が残っている。

ガラス産業が大きく発展を遂げるのは、ヴェネチア共和国が地中海貿易などにより政治、経済的に急成長をした 13世紀からである。地中海交通の要であると同時に、西欧、東欧文化の合流点でもあるヴェネチアは工芸文化においても様々な様式を取り入れることが出来た。1224年にはガラス職人組合の存在が、1271年には組合規約の制定が確認される。またこの頃から原材料の管理や操業期問の規定など政府の介入が強化されていった。
そして 1291年にヴェネチアン.ガラス産業における画期的な決定がなされる。ヴェネチア本島の全ての工房が強制的にムラーノ島へ移転させられ、本島市街地での窯の建設が禁止されたのである。当時まだ木造が主流だったヴェネチアの街を火災から守る為と、ガラス職人の国外流出を防ぎガラス製法が漏れないよう監視する為であった。これらの事から、既に同時代、ガラス製造はヴェネチアの重要な基幹産業であった。13~14世紀のガラス製品となると遺例は稀だが、それでもドイツ、ユーゴスラビア、ハンガリーなどでヴェネチアのガラス片が発見されており、各国に輸出されていたことがわかる。

15世紀に入りヴェネチアンガラスは黄金期を迎える。ルネサンス期を背景にしたこの時代の主流は、色ガラスとエナメル彩による技法であった。器の形は金属食器を模したステムの付いた酒盃形状のものが多く、色とりどりのガラスにイスラム色の強い文様が絵付けされた。また6世紀以降ヴェネチアンガラス文化が更に開花する技法の下地もこの時期に開発される。「クリスタッロ」「ラッティモ」の登場である。
クリスタッロ (ヴェネチアン.クリスタル)とは、従来になかった無色透明のガラスで、原料に消色材の酸化マンガンを加える事により透明度が格段に高まり、当時では「水晶のよう」と賞賛されこの名が付いた。ラッティモは当時輸入され人気の高かった中国磁器を模した乳白色のガラスであり、原料に酸化錫などを加え白濁させた。両者ともこの時代では金、エナメル彩による装飾が行われたが、やがてレース.ガラスヘの技法へと結びついていく。

16世紀

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Ⅴ.ガラス 様式解説
2007/04/29




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