◆ガラス工房解説 3 【Lobmeyr】

Lobmeyr

1822年11月、オーストリア北部グリースキルヒェン出身のヨーゼフ.ロブマイヤーがウイーンにガラスショップを創設したことに始まる。この時代のボヘミア周辺は既にガラスの一大生産地域となっていた。同地域はローマ、ヴエネチアと違い山間部に位置する為、伝統的にカリガラスを使用していたが新技法により透明度の高いカリ.クリスタルガラスが開発され、特に17世紀後半からその特性を生かしたボヘミアングラスがヨーロッパの市場を席巻していた。
そんな中、ヨーゼフもカリクリスタルのグラスセットの仕入販売を行い、当時台頭してきた新興ブルジョアジーの嗜好とも相まって事業は順調に推移した。 1823年には表通りの広い店舗に移転、やがてデザインも行うようになる。1835年にはハプスブルグ家皇帝フェルナンドー世にシャンデリアとグラスセットを納め、翌年には早くも「皇帝御用達」の勅許を受ける。また1851年からは、ビンペルクのマイヤーズ.ネッフェ社と提携してボヘミアとの関係を深めていく。

1855年、ヨーゼフが死去するが息子のヨーゼフJrとルードヴィヒの兄弟が二代目となり、1860年に社名を正式に「J&Lロブマイヤー」とする。同年、「オーストリア王室御用達」の勅許を受けた。その後も1867、1878、1900年のパリ万国博覧会などを筆頭に各種博覧会で金賞、銀賞を受賞する。同時期にシェーンブルン宮殿やウィーン学友協会ホール、ザッハホテルなどのシャンデリアにも着手、「シャンデリアのロブマイヤー」の称号が輝きを放つようなる。19世紀後半からフランスを中心にアールヌーヴォーの波が押し寄せてくるが、相容れないスタイルとは迎合せずロブマイヤーは距離を置いた。
1917年にルードヴィヒが他界した後、甥のシュテファン.ラートが跡を継ぐ。シュテファンはウイーン工房(反アール.ヌーヴォー派によって設立されたガラス工房)のヨーゼフ.ホフマンを美術部長に迎える。彼はロブマイヤーの伝統的スタイルを守りつつ、バロック風の古典的デザインやアールデコ期の幾何学的でモダンなデザインを見事に融合、昇華させた。特にシュヴァルツロット技法による黒色文様はこの時代の代表的形式であった。また、ボヘミア各地に自社ガラス工場を設立、同地の伝統的デザインや装飾技術を吸収していった。因みにこの時代には「パトリシアン」を筆頭に、「ベルヴェァーレ」「チロル」「アンバサダー」などの名作が発表され、現在でも作り続けられている。
しかし第二次大戦が始まり、シュテファンはオーストリアを離れなければならなくなる。息子のハンス .ラートが四代目となり戦火を逃れながらも制作は継続された。この時期、スワロフスキーの工場で仕事を続けている。よ

(1/2) 次»

Ⅳ.ガラス 工房解説
2007/02/24




カテゴリー一覧
最近のコメント

このブログを友達に教える

コミュニティ | 有名人・芸能人ブログ | ケータイ占い | ケータイ小説 | 掲示板


画面TOP↑


powered by cocolog