■初めての桂離宮一介の酒司が桂別業についてあれこれ講釈するのは分不相応なのですが、些か気に懸る事もあるので試しに記述してみようと思います。
近年の「キョートブーム」なるものも相手伝ってか、此処の所桂離宮への参観者が著増しています。それ自体は喜ばしい事なのですが、「何故」わざわざ桂なのか一寸理解に苦しむ方々も居られます。往復葉書で申し込んでまで洛外まで御足労されなくとも、所謂「京都」を感受出来る史蹟は洛中に多々ありますし、桂以上の歴史を有する貴重な文化財もまた同様です。単に記念写真を撮りに行きたい方々には、参観日時や行動時間の拘束されない一般の名所旧跡をお勧め致します。
桂は鑑賞の仕方(解釈)が少々厄介な建築群.庭園で、ある程度の事前準備がないと「行った.見た.撮った」だけで終わっちゃいます。とは云っても別段庭園や古建築に対する特別な造詣が必要な訳ではありません(本当は必要なのですが…)。小学校の明日の授業の予習みたいなものです。以下、暇だったら読んでみて下さい。
準備1 あまり過剰な期待をしない
桂に関してはブルーノタウトやコルビュジュ、グロピウスを筆頭に(ついでに安藤忠雄も)、国内外の芸術家や建築関係者が日本文化の代表作として絶賛しています。故に権威主義に陥りがちです。(著名人が賞賛している→参観するも何だかよく解らない→自分は見識が無いのか→ソレハイケナイ→嗚呼矢張り桂は素晴しい=思い込み検証終了)
桂は意外と「好き嫌いが分かれる」林泉です。そのことは各々の感性に委ねて大丈夫だと思います。
準備2 大雑把な沿革の把握
これは語り始めると際限がないので極々簡単に(この点についての委細次項は「三度目の桂離宮(仮)」へ)。
桂離宮は江戸初期に造られた八条宮家の別荘です。従って「公家」の庭園であり、武家の大名庭園や臨済禅の方丈庭園とは様式が異なります。故に権勢の誇示を目的とした簡明且つ威圧的な作意(例.東照宮、二条城)や、禅宗的世界観を具現化、又は抽象化した作意(例.大仙院、竜安寺)は在りません。
桂の精神世界観の基底にあるものは源氏物語に代表される平安王朝文化への回帰とその再構築で、そこに各種様々な文化様式(浄土式.書院造.露地.西洋式手法等々)が重層的に折衷されています。
加えて複数の作庭者の意匠が幾重にも複合されている点も大きな特色です。造営着手から現在の規模に整えられるまでに約半世紀、親子二代に亘って数次の増改築が為され、その後も江戸中期や明治にかけても整備が繰り返されています。にも関わらず、意匠に統一性が保たれ、世界観は破綻を見せることなくと継承されています。
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