食わず嫌いということよくあることで,わからないから嫌い,という感覚がある。
普通は情報不足と誤解がその根底にある。
そのことで何かを言うつもりはないが,
結局のところ,それを繕うためには「自己流」で体面を保たなければならず,
矛盾が矛盾を呼び,最後に行き詰まるのが関の山である。
事実,私が何度も経験していることである。
ただ,私の場合,一般の理論書で確認することにより,
比較的早い段階で,修正できているので,それが救いだ。
修正できる程度に理論書が理解できるだけでも幸せである。
最近は,本当に趣味で作曲を行なっている人間が多くなったらしい。
「自分の曲を作曲したい」という願望が芽生えるのは,中学時代からだそうだ。
私もそうだった。
でも,昔はそれを実現させる道具が少なく,
例にもれず,私も挫折した。
今の時代,パソコンによって簡単に実現できる。
夢のような時代になってしまった。
それでもやはり,まともな曲を作るには,
きちんとした学習は不可欠であるということを痛感している。
そうでないと,井の中の蛙となり,自分だけの世界に迷い込む。
いつまで経っても,曲にすらならない場合もあり,自己流に固執し,
食わず嫌いになっていく。
これは本当に残念だと思う。
ただ,学習というと,日本人の場合だけかもしれないが,
詰め込み教育のことが頭をよぎり,敬遠されるかもしれないし,
実際,理論を学んだ,というだけで一目置かれるという風潮は,
多くの素人音楽家たちの落ちこぼれ的後ろめたさに表われている。
また,1を聞いただけで,100を知ったかのように感じる感覚も
理論と感覚は相容れないという困った誤解を生みやすくなる。
理論を勉強した,という人々のいったいどれくらいの人が,
実際の楽曲を分析し,理論的な裏付けを確認しているだろうか。
実は,これが一番面倒であり,余程の意思の持ち主でないと行なう気にならない。
いわゆるアナリーゼというものだが,まともな曲を書くための基本である。
理論をちょっとかじっただけでわかった気になり,勝手に持論を展開していくと,
勝手に自分の理論らしきものを編み出し,自分の曲を自分勝手に解釈し,
自己満足する,ということになる。
今日のこの風潮は,私を含めてだが,ものすごい数の駄作を生み出し,
幸いにして,そのほとんどは人の耳に入らないからよいようなものの,
音楽家気取りの困った人たちを生みやすくする。
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