レムリア・ルネッサンスの法についてある方から、レムリアは内輪のメンバーのことばかりが霊言になっているというコメントがありました。
これについては、レムリアとしての明瞭なスタンスがあります。
第三の計画・レムリアでも、根本法そのものの普遍的表現は、当然存在しますが、さらに、法の実践、応用編としての具体的な内容がたくさんあります。これは、法のケーススタディ、さらには対話編と同じように、具体性を持って法を語る事で、分かりやすくなるという効果があります。
レムリアでは、法は地に足がついた現実的なものである、という事を表す意味で、こうした個々のケーススタディからの学びを重視していると言ってよいと思います。具体的な方が、法が分かりやすいという事です。
さらに、具体的な出来事や相手に対して伝えておりながら、その内容は、第三者が読んでも自らに照らし合わせて参考になるものであり、決して普遍性がない訳ではありません。すなわち、具体的なその物事、対象者だけに伝えられているメッセージというだけではないのです。同時に、すべての人に向けたメッセージともなっているのです。
これが天上界の伝統的なやり方でもあります。普遍的メッセージだけを聖典や教典に残したでしょうか? 実は全くそんな事はありません。それは、古今東西の宗教の聖典を見れば分かる事です。聖書では、預言者の言行録の中で、個々の出来事や人に対して言った言葉も、含めて残されております。プラトンなど哲学者の本の対話編もそうです。論語もそうです。いろいろな教えが、そのように、ケーススタディを人類の遺産として記録し、伝え、蓄積していくことで、学んだ人が自分に当てはめるのです。
法は生きたものであり、マクロもミクロも含まれており、いかなるミクロの、日常の事からでも語れるのが法です。あたかも高邁な、崇高な事柄だけが法であるということはありません。もちろん、それも当然含まれるのです。しかし、神の現れとは、マクロにも、とうぜんミクロにも遍在しており、いかなるところからでも、神を発見でき、魂の向上のために学ぶ事ができるのだと思うのです。
ケーススタディだからこそ、浮き世離れした感じではなく、迫力に満ちた、魂に響いてくる事にもなると思います。そうでないと自分の事として照らし合わせたりしないのではないでしょうか。
まもなく来るところの、変革の時代、混乱の時代に、魔と対峙しての戦い方をきちんと具体論として残しておかなければなりません。法を実践できるところに具体化をしておとしているというのも、レムリアの大きな特徴なのです。
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