プロローグ私はフェミと呼ばれることが大嫌い。
女である自分が、フェミニストとして声を荒げる必要がないほど
世の中の男が皆、フェミニストとなってくれることを常日頃から期待している。
だから、フェミと呼ばれるたびにどこか虚しさを感じるのだと思う。
性被害の痛みを訴えることが、馬鹿フェミと呼ばれる根源だというのなら、
お前はしょせんエゴシストだろと鼻で笑ってやりたい男は山ほどいるし、
そしてそういう男に依存することでしか自分を維持できない女の残骸も山ほど目にしてきた。そして、もちろん、その逆のケースもたくさん見聞きしてきている。
モテブームだ、萌えブームだと世間がなにかと浮き足立ちたがるのは、
結局のところ、個々に抱えている漠然とした不安や孤独、罪悪感というものを
一時のお祭り騒ぎでごまかしたいだけで、
男と女が一生愛し合うことができて、互いに幸せになれる普遍的なルールなんて、
本当はどこにも存在しないことを誰もが知っているはずである。
だからこそ、男と女の関係は愛おしいのであり、、
私達はさまよいながらも、互いに求め合い、欲し合うことができるのだと
私自身は考えている。
人を傷つけずに暮らすことも、
自分を傷つけずに暮らすことも
そんなことは到底無理で、
相手の本心や痛みに触れようとすればするほど、
自分自身の弱さや痛みを突きつけられるはめになる。
誰の心にも支配欲というものは存在し、
人の世が、支配とコントロールのシーソーゲームで
雁字搦めに縛り付けられていることは分かりきったことで、
その象徴でもある『性被害劇場』という小劇は、
学校や職場、そして一番密接なコミュニティーである家庭という現場で、
今、この瞬間もひっそりと繰り広げられている。
俺は、加害者になるはずもないから。
私は、未だ被害に遭ったことがないからと
関係ない、興味がないと耳を傾けない人間も少なからずいるけれど
本当にそうなのだろうか?
ただ見て見ぬふりをし続けてきただけで
堅苦しいこと、気まずいことには耳を塞ぎたいだけであって、
ある時は、加害者で
ある時は、被害者。
そんな自分を、直視したくないだけではないだろうか?
・・・関わることより、自覚することより、無視することや通り過ぎることのほうがよっぽど楽だから。
これから私が話すことを、「フェミニストの話だから」という気持ちで読
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