リアリストと創造的な思考自分はリアリスト、現実主義者だと思っている。
ある自己啓発セミナーで、こういうゲームがあった。このゲームは、静かな叙情的なバックグラウンドミュージックが流れる、明かりを落とした暗い部屋で行われた。ゲームのルールはこういうものだった。
「あなたは沈みかかっている客船の乗客の一人だが、乗客全員が乗り込むには救命ボートの数が足りない。そこで、全員が集まって救命ボートに乗る人を決める会議を開きました。どの様な選出の仕方をするか意見を述べるか、自分がボートに乗る権利を認めさせるために、どうしても生き残らなければならない理由を説明して説得するか、ひとりでもたくさんの人を助けるために自己犠牲を進める意見を述べるかしてください。全員目を閉じてこの話し合いをします。意見を言う人は手を挙げてください。スタッフが肩に手をかけますから、立ち上がって話してください。そして、その意見に対して賛同したり反対したりする意見を同じように自由に発言してください。やりかたは同じです」
このゲームの意図は、ぎりぎりの選択を迫られた状態での自分の考えを素直に出して、どこまで皆の賛同を得られるかや、人々の葛藤や意見の食い違いのなかから人間性や社会性や理性や感情の意味を感じること、であったらしい。
実にさまざまな意見が出た。相手が見えない中で順序よく次々と意見が述べられていく演出はたいしたものでそれなりの効果はあるように感じた。
自分は、このゲームのなかで、立ち上がってこう発言した。
「沈むのにいくらも時間がないというのに、こんなところで延々と議論している暇なんかありません。船の中には探せば水に浮く木材などがあるはずです。それで筏でも造ればいい。わたしはこれからそれを探しに行きます。ついてくる人はいますか?」
数人の賛同者が現れた。が、そこでゲームは中断となった。このゲームを指導していた講師は、
「あなたのやったことは、ルール違反で、ゲームを台無しにするものだ。このゲームではそういうことが求められているのではない。あなたのような考え方は、皆が一つのことに真剣に取り組んでいる雰囲気に水を差す。迷惑になる。よく自分の行動を考え直せ」
と言った。
あまりのばかばかしさに、一気にその自己啓発セミナーと講師への信頼感が薄らいだ。もっとも最初からあまり信用はしていなかったけれど。
このゲームの設定のような非合理で非現実的な状況は最初から破綻している。そのことに目をつぶったままもっともらしく議論を続けるのは、本当にそれを現実の状況とした場合は、それこそ身の破滅でしかない。また、議論からはみ出た選択肢を示したことがルール違反と言われるようでは、真の解決策などどこにも出てこようはずがない。問題を解決するために創造的な思考を求める
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