百日続きました

なんと、一日一作文章練習と称して、一作原則30分から1時間以内で、粗製濫造の文章作成を試みだしてから、今日で丁度百日目だ。
お百度参りという言葉があるが、別に願をかけたわけでもないので、その効果をどうこう言うわけでもないが、それなりに現在までの効果を分析してみたい。
まずは、書くことにそれほど苦痛を感じなくなった。キーボードに向かって、うーんとうなって指が止まってしまうということがなくなったということだろうか。それだけでもたいした進歩だと思う。
ただ、その書き方は、最初からプロットを考え、箇条書きなどの方法で書き出したシノプシス、アウトラインに従って理詰めで書いていく様なものではない。ただ、頭の中に浮かんでくる順に話すように文字に変換していくというやり方を取っている。これが良いのかどうなのかわからないけれど、過去に書いたものを読み返して見ると、それなりにスムーズに大きな論理的破綻も無く読めるように感じる場合が多いのに、自分で驚いている。良く話す人の頭の働き方をシミュレーションして体験することが出来たという様なものなのだろうか。
しかし、ミスタイプによる文章作成速度の低下への影響は大きい。これはもうちょっと真剣にインプットメソッドを鍛えれば改善するだろうことはわかっているのだが、いちいち画面を開いて単語登録をするのが面倒くさくて、ついそのまま打ち直したり、便利な変換をつくらずに毎回長い単語を律儀にタイプしていることが大きい。
それでも、とにかく、こうやって頭から流れ出るままの文章が画面に転記されていく様子を、別の自分が客観的に眺めている様な独特の感覚が味わえるようになったというのは、ちょっとした成果かもしれないと思う。そのことが、文章を書く上でほんとうに役に立つことかどうかは知らないけれど。
もうひとつ、興味深かったのは、情景の描写をする場合は、頭の中にビジュアルなシーンが現れるようになって、それを観察しながら文章にしていくという作業が、あきらかに意識的にできるようになってきたことだ。街の中や部屋の中など、初めから頭の中に細部にわたって立体の映画でも見るように情景が浮かびあがるので、説明するように文章化するのにそれほど苦労しない。これはおもしろい。
問題は、表現するのに適当な言葉が見つからないことだ。こういうことをいいたいんだけれど、こういう意味のことを表現したいんだけれど、どういう言葉がいいんだろう、とかつて見聞きして記憶のどこかにあるように思う適当な単語や熟語を思い出そうとしても、どうしても出てこなかったり、とてももどかしい思いをすることが多くなった。
やさしい言葉に置き換えて書いていくのは簡単なことだけれど、それではなんとなく文章の感じが変わってしまうように思う。変わったところで、どち

(1/3) 次»

2007/01/21




コメント(2)|コメントを書く

カテゴリー一覧
最近のコメント

このブログを友達に教える

コミュニティ | 有名人・芸能人ブログ | ケータイ占い | ケータイ小説 | 掲示板


画面TOP↑


powered by cocolog