お風呂で読書普段は真冬でもシャワーしか浴びない。おそらく熱帯で過ごしたときの習慣が身に付いてしまったからだろうと思う。それに、アパートの狭い湯船では風呂をたてたところで、ゆっくりと体を伸ばすことも出来ず、そんなに風呂に入ったという満足感も効果も望むことは出来ない。なぜ10分やそこらの入浴のために、わざわざ風呂桶を掃除し、大量のお湯を張り、貴重な資源を無駄遣いしながら大して満足することもない風呂に入らなければならいのか。どうせ湯につかるなら、遠くて出向くのが面倒だし費用もかかるけれど、本物の温泉の大きな湯船でゆったりと体を伸ばして温まりたい。
とはおもうのだが、あまりにも疲れたときや、あまりに寒くて体が凍えきって家に帰り着いたときは、さすがに狭い風呂桶でもいいから、お湯にどっぷりとつかりたくなる。シャワーではタイル張りの湯殿の冷たさが身にしみるし、体が芯から温まるのに時間がかかりすぎる。
だから、意を決して風呂をたてるときは、絶対に入れたお湯を最後までしゃぶり尽くすくらいの意気込みで風呂に入る。普通に温まって、体を洗って、それでおしまいなんて事は絶対にしない。何があろうと風呂の湯の中で30分は過ごす。一番のお気に入りは、本や雑誌をもちこんで、首まで湯につかりながらゆっくりと読むことだ。そのために、わざわざ湯殿の照明を100ワットの電球に交換することまでした。気になるのは照明器具に、60ワットまでという注意書きがあったことだが、これはまあそんなにつけっぱなしで何時間も経過することはないのだから大丈夫だろうとタカをくくることにした。
もちろん、首まで湯につかっていると顔に汗をかく。その汗がだらだらと顔を伝って気持ちが悪くなる。目に入ってしみて痛くてたまらなくなることもある。本を持っている手にだって汗はふきでるし、時々は持ち手を変えないと疲れてしかたがない。ページをめくるときに手がぬれていては本がだめになってしまう。それに体を洗ったり、少し読むのを休んでゆっくり湯船に浸るために本を仮に置いておく場所も必要だ。だから、乾いたタオルを常にそばに用意しておかなければならない。
さらにもうひとつ問題がある。極度の近視なので、本を読むのにもめがねが必要なのだ。めがねを外したら100ワットの明るい光の中でも、顔を本にすりつけるようにして読まなければならないし、目が疲れることおびただしいので、やっぱりめがねをかけて風呂に浸かることになる。そのめがねが曇るのだ。お湯から立ち上る湯気でめがねは確実に曇る。湯殿の室内の温度が上がれば相対的に曇りは取れるだろうと最初は予想していたのだが、どうもそうではないらしい。
よく考えれば当たり前の話だ。どんなに室内の空気の温度が上がってもお湯の40度近い温度にはほど遠いし、空気中の湿度が100パーセントになると温度
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