全体主義一色に向かう日本。しかしこれを逆にテコにして日本を生まれ変わらせよう

これだけ自公政権がムチャクチャをしていても自公政権を旧態依然として支持している人たちは、一体どういう人たちなのか。
本心から自公政権の政策を支持しているのでない限り、その根底には他者への無関心と「自分さえよければ」という感情があると思われる。

個人主義という言葉は、利己主義と誤解され悪いイメージを持たれている(これも権力者側の陰謀?)。
しかし、個人主義というのは自分主義とは違い、自分も他者も両方尊重しなければならないという主義だと思う。
そうした、他者を尊重し合う多様な個が集まって社会を形成している、という考え方だろう。

他方、全体主義、集団主義は、全体、集団のためには個を埋没させることが要求される。そこでは、皆同じ行動を取るため、他者を区別する必要もない。
したがって個性など、ないに等しいし、あっても、尊重されることはない。

今の日本は、個人主義、全体主義、どちらだろうか。あるいはまた別の主義だろうか。

私は、全体主義と利己主義が跋扈し、その中で少数の者が個人主義を信奉している、という状況だと思う。
戦後、「自由と民主主義」ということで、自由ということが殊更強調されるようになった。しかし、人々は、全体主義から脱したわけではなかった。
その証拠に、学校では、あのすばらしい教育基本法を掲げていながらも、旧態依然と、集団教育が続いた。校長の前で皆整然と起立させられ、前へ倣え、だとか、気をつけ!だとか、軍隊式の調教教育が続いた。運動会でも、整然と行進させられる。それも、台の上から生徒らを見下ろす体育の教師が、怒鳴りながら、「一糸乱れぬ」行進ができるようになるまで何度も何度も練習させる。「威嚇」を伴いつつ行われるこうした「調教」は、子供に「お上」に逆らってはいけないという恐怖心を植え付け、個を殺すことを求めるものである。
こうした集団行動は、他者、他の個性を尊重するという心を育まない。尊重するも何も、皆同じ行動をしているだけなのだから、尊重しようがないのだ。
ここから子供たちが学ぶのは、集団の中では、自由も権利もない、ということ

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もう一つの世界に向けて
2007/01/14




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