自己とは他なし、絶対無限の‥‥自分を概念規定すれば?
浅井豪男
最近マスコミなどで自分探しの旅へ出る若者のニュースをよく見聞きします。
この様なニュースに接する度、昔の自分をよく思い出したりします。
今思えば日替ランチのように考えがコロコロ変り、
昨日まで輝いていたものが色褪せて見えることも再三でした。
そしていつもどこかに「まあ、いいか。」と妥協していた自分がいました。
この様に他人には厳しいことを言う反面、自分には甘く
身勝手でそのくせ他人から批判されると声を大にして反論はするし、
最後には居直って必ず「凡人だから仕方がない」と言っていました。
しかし一方では常に、
これについてはこうあらなければならないとか、この様にあるべきだなどと
虚勢を張って、無理していた自分が居たような気がします。
そんなある日、清沢満之の有名なあの言葉「自己とは他なし 絶対無限の
妙用に乗托して 任運に 法爾に この境遇に落在せるもの即ち是なり」
に出合いました。
この時の気持ちをひと言で申せば「そうだ!これだ、これだ」でした。
一瞬にして永年の疑問が氷解して肩からすうっと力が抜け、
何とも言えない満ち足りた気持ちになったことを今でも覚えています。
そして私にとってのあの言葉はそれ以降の心の安定剤になりました。
つまり自己と言うものは、如来(他力)の大きな働きに乗させて頂き、
因縁のまま、あるがままに、今ここに安住出来る存在なのだと気付かされたのです。
まさに心が180度ひっくり返った経験だったのです。
この言葉をさらに私なりの言葉に置き換えれば、
人間と言うものは自分一人の力で生きているのではない、
自分以外のすべてから生かされているのだ、
何事においても「させて頂く」と言う受身の使役形的な生き方が大切だ、
と頂いた次第だったのでした。
最後になりましたが、自分探しに行かれる方へ一言。
そのコースに、この記念館を入れられたら如何でしょうか?
案外、行かなくてもよくなるかも。
合掌
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