自分の価値はゼロ

                   釈 解深

私は高校生の頃、よく勉強した。
それは勉強が好きだったからではなく、偉い人間になりたかったからである。

友人にも私と同じような人はいた。
勉強でなくても、喧嘩で名をあげようとした人もいるし、
中には新興宗教に入って修行をした人もいた。

やがて
職場でいじめられた恋人は自殺し、
修行に精を出していた親友は
その教団の引き起こした犯罪に巻き込まれて行方不明になり、
私自身もいろんな意味で行き詰った。

そのときに、たまたま目にしたのが
「宗教の門に入ったものは、自分の価値をゼロ位におくのである」
という清沢先生の言葉である。

人生に意味がほしい、
人からほめられ尊敬される人間になりたい
と思っていた私には驚くべき言葉だった。

「宗教の門に入る」のは、修行して「自分の価値」を高めるためではないのか?

浄土真宗の教えを聞き始めてようやく、清沢先生のいわんとするところが
少しずつだが頷けるようになってきた。

しかし、ふと気づくと、自分の価値を認めない奴は許せないと
苦しんでいる私がいる。
そういうとき、私にとって清沢先生のこの言葉はいつでも、
青春時代に感じた新鮮な驚きをもって響いてくれるのである。


※出典…「自ら侮る自ら重すると云ふ事」(『精神界』論文)

2008/02/03




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